聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2013]

2013年 06月 16日 (日)

マタイ9:1-8
罪を赦す権威者イエス様

1.中風の人の罪を赦されたイエス様(1-2)
 イエス様が、ご自分の町に帰られると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、イエス様のみもとに運んで来ました。彼らは、イエス様が中風のような不治の病さえも直せる方であることを、信じました。ところが、イエス様は彼らの信仰をご覧になり、中風の人に言われました。「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」(2b)。イエス様は中風の人に、「あなたの中風は癒された」とは言わずに、「あなたの罪は赦された。」と言われました。イエス様がご覧になる時、人にとって、本当に深刻なものは、罪の問題です。中風は肉体を使えなくしますが、罪は人のたましいと人生そのものも、使えなくします。いくら肉体が健康であっても、罪の赦しがなければ、人生そのものが中風のように、無気力になり、何の役にも立たなくなります。
2.罪を赦す権威者イエス様(3-8)
 イエス様が、「あなたの罪は赦された」と言われると、イエス様を監視するためにそこにいた律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言いました。そこでイエス様は、じっとしていて、横たわっている中風の人を、御言葉で立たせ、歩かせることによって、ご自分が神様の御子キリストであり、罪を赦す権威を持っている方であることを、証明されました。イエス様には、罪を赦す権威があります。イエス様の罪を赦す権威を信じる時、中風の人のように無気力で、人の役にも立たなかった人が起きて、歩き始めるようになります。

祈り:主よ!私が中風の人のように生きて来ました。これからは、罪の赦しの権威があるイエス様を信じて、起きて歩いて行きます。

一言:起きて、自分の床をたたんで、歩きなさい



2013年 06月 17日 (月)

マタイ9:9-13
罪人を招くために来られたイエス様

1.わたしについて来なさい(9)
 イエス様は、マタイという人が収税所に座っているのを、ご覧になりました。彼は同族たちから税金を集め、ローマに治めることを仕事にしている人でした。当時の人々は、このような取税人を反逆者であり、罪人として考え、誰も相手にはしませんでした。ところが、イエス様は彼をご覧になり、「わたしについて来なさい。」と言われました。イエス様は、彼がイエス様について来て、学ぶなら、彼も価値のある人生を生きるようになることを信じ、彼を弟子としてお立てになりました。人々は彼を何の役にも立たない罪人として見ましたが、イエス様は彼に望みを置かれました。マタイはイエス様の望みの御声を聞いて、イエス様について行くことで、取税人から聖マタイに変えられました。
2.罪人を招くために来られたイエス様(10-13)
 イエス様は、マタイに招かれ、彼の家で食事をすることになりました。マタイの友だちである取税人と罪人たちも共に食事をしていました。これを見たパリサイ人たちは、「罪人たちと共にいる」と言って、イエス様を非難しました。イエス様は彼らに、神様の御心を教えられました。神様は、形式的ないけにえよりも、愛を願われます。パリサイ人たちは神様に仕え、神様について教える人々でしたが、神様の心は知りませんでした。罪人たちを愛し、助けることより、罪に定め、遠ざけようとしました。イエス様は神様の御心を知っておられました。それで正しい人よりも、罪人を招くために来られました。イエス様は、足りなく、弱く、いつも罪を犯すしかない私たちを救うために、来られました。

祈り:主よ!罪深い私を招くために来られたことで、望みを持ちます。私も主の御心を学び、罪によって病んでいる人々を助ける生活をします。

一言:罪人を招くために来られたイエス様



2013年 06月 18日 (火)

マタイ9:14-17
新しいぶどう酒は新しい皮袋に

 バプテスマのヨハネの弟子たちがイエス様に、「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」と尋ねました。彼らは、断食が敬虔な生活の大切な要素である、と考えていました。
 イエス様は、このような彼らに尋ねられました。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。」当時、敬虔だと言われる人でも、断食する日であっても、結婚式の披露宴では断食しませんでした。よく食べ、花婿と共に、楽しみました。イエス様は、披露宴での花婿のような方です。信仰生活は、このイエス様と共にする生活です。信仰生活は敬虔な苦行ではなく、罪を赦すために来られたイエス様を受け入れ、イエス様と共に罪の赦しを喜ぶ生活です。結婚式の披露宴のように、喜びが満ち溢れる生活です。
 イエス様は、バプテスマのヨハネの弟子たちが、継承される伝統と律法によって、考えが堅くなり、彼らの生活に神様の喜びがないことを、知っておられました。それで、彼らに「新しいぶどう酒を新しい皮袋に」と教えました(16,17)。
新しいぶどう酒は、古いぶどう酒と違い、発酵する力があります。それで、新しいぶどう酒を古い皮袋のように、伸縮性のない皮袋に入れてしまうと、破れてしまいます。それで皮袋も、ぶどう酒も駄目になってしまいます。イエス様の福音は新しいぶどう酒のようなものです。人を変え、生命力が満ち溢れる人生を生きるようにする力があります。それで、イエス様の福音を受け入れるためには、私たちが「新しい皮袋」にならなければなりません。古い考え、古い生活を捨てなければなりません。

祈り:主よ!私が傲慢と欲望によって、古い皮袋になってしまっていました。私が新しい心で、主の福音を受け入れるように、助けてください。

一言:新しい皮袋になろう



2013年 06月 19日 (水)

マタイ9:18-26
死んだ少女を生き返らせたイエス様

1.あなたの信仰があなたを直したのです(18-22)
 会堂管理者がイエス様のみもとに来て、「死んだ私の娘を生き返らせてください。」と懇願しました。彼は、イエス様の力を信じていたので、体面を捨てて、イエス様にすがりつきました。イエス様は、彼の信仰と切なる心を受け入れ、彼の家に向かわれました。ところが、彼の家に行く途中で、十二年の間長血をわずらっている女がイエス様のうしろに来て、その着物のふさにさわりました。長血は婦人病の一種であり、不治の病でした。しかしこの女は、イエス様の着物でもさわれば直ると、「心で」信じていました。女は、管理者とは違って、イエス様の御前に出て来て、求めることができませんでした。しかし、心からイエス様を信じました。イエス様は彼女に言われました。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」女は、その時から全く直りました。
2.その子は死んだのではない。眠っているのです(23-26)
 管理者の娘は死にました。人々は大声を上げて、泣いていました。ところが、イエス様は言われました。「その子は死んだのではない。眠っているのです。」そして、それをあざ笑っている人々をみな外に出してから、少女の手を取って、生き返らせました。イエス様には、直せない病気はありません。死んでしまった者さえも、イエス様は生き返らせることができます。イエス様を信じる者には、絶望もなく、死もありません。

祈り:主よ!私が、死んだ者も生き返らせる主を信じます。私がこの主を信じ、恐れることなく、主の道を歩むように助けてください。

一言:イエス様の中には、絶望も死もない



2013年 06月 20日 (木)

マタイ9:27-38
収穫のために、働き手を送ってください

1.わたしにそんなことができると信じるのか(27-34)
 イエス様がそこを出て、道を通って行かれると、二人の盲人が大声で、イエス様の憐れみを求めていました。ところが、イエス様は彼らに尋ねられました。「わたしにそんなことができると信じるのか。」イエス様は、彼らの信仰を、確認しようとされました。イエス様は、「そうです。主よ。」という彼らの答えを聞かれ、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われ、彼らの目を開いてくださいました。イエス様は、私たちの信仰を通して、働かれます。信仰がある時、イエス様の憐れみを受けることができ、新しい人生を生きることができます。
2.収穫のために、働き手を送ってください(35-38)
 イエス様は、全ての町や村を巡って、会堂で神様の御言葉を教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直されました。このような中で、イエス様は、彼らが羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れているのをご覧になり、かわいそうに思い、収穫は多いが、働き手が少ないことに心が痛みました。それで、イエス様は彼らの羊飼いになって、熱心に彼らを助けるだけではなく、弟子たちに、「収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」と言われました。イエス様が弟子たちに祈りを頼まれたのは、彼らが世に対する牧者の心情を持って、収穫する働き手になることを、願われたからです。イエス様は、今日、私たちにも、この祈りを頼まれました。

祈り:主よ!私が、収穫のために働き手を探しておられる主の御声を聞きました。足りないですが、私も収穫のための働き人になるので、信仰をください。

一言:収穫のために、働き手を送ってください。


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