聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2013]

2013年 07月 25日 (木)

マタイ15:24-43
天の御国に関する三つのたとえ

1.毒麦のたとえ(24-30,36-43)
 ある人が自分の畑に良い種を蒔きました。ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て、毒麦を蒔いて行きました。麦が芽生えて、実った時、毒麦を発見したしもべたちがそれを抜き集めようとしました。ところが、主人はそれを止めました。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取る恐れがあるからです。主人は、収穫の時期になったら、まず毒麦を集めて焼き、麦のほうは、集めて自分の倉に納めます。世の中には、善だけではなく、悪も存在します。これを見て、私たちは、「なぜ悪が存在するようになったのか、なぜ義の神様は悪を放っておかれるのか」と疑問を抱きます。また、国を上げて悪い者たちを、みな無くしてしまわなければならない、と怒りを抱くこともあり、時には、義人と悪い人の区別がつかないほど、混乱してしまう時もあります。しかし、神様のさばきを信じなければなりません。世の終わりの日には、神様の御前に立って、正しい者と悪い者をはっきりと区別します。悪い者たちは地獄に落ちて歯ぎしりをし、正しい者たちは太陽のように輝きます(42,43)。神様が今すぐにさばかれないのは、正しい者と救いを受ける者たちが害を受けないようにするためです。
2.からし種のたとえとパン種のたとえ(31-35)
 天の御国は、からし種のようなものです。初めは、どんな種よりも小さいのですが、生長して行くと、大きな木になり、空の鳥が集まって来るようになります。また、天の御国は、まるでパン種のようなものです。女が三サトンの粉の中にそれを入れると、全体がふくらんで来ます。天の御国は、外的、内的に成長して行きます。

祈り:主よ!この世では、麦と毒麦を区別することは容易ではありませんが、結局はみな明らかになることを信じます。私は良い麦になります。

一言:世の終わりには、明らかになる



2013年 07月 26日 (金)

マタイ15:44-58
天の御国は畑に隠された宝

1.天の御国のたとえ(44-52)
 他の人の畑を耕していて、そこで宝を発見した人は、その宝を隠して置いて、自分の持ち物を全部売り払ってその畑を買います。良い真珠を捜している商人は、すばらしい値うちの真珠を見つけると、自分の持ち物を全部売り払って、その真珠を買ってしまいます。天の御国は、宝やすばらしい値打の真珠のようです。天の御国は、全てのものを投資して得るほどの価値があり、その価値を知っている人だけが得ることができます。また、天の御国は、海におろしてある地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、良いものは器に入れ、悪いものは捨てます。この世の終わりもそのようになり、正しい者と悪い者を厳格にえり分けます(49)。弟子たちが、このすべてのたとえが分かった時、イエス様は弟子たちに、「自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人にならなければならない。」と言われました。倉の新しい物と古い物は、新約聖書と旧約聖書を指します。貴い天の御国、義と悪に対する分別は、全て聖書にあります。イエス様の弟子たちは聖書をよく知り、しっかりと教え、人々を天の御国に導かなければなりません。
2.イエス様を退ける郷里の人々(53-58)
 イエス様の郷里の人々は、イエス様を人としてよく知っているために、イエス様とその教えを無視しました。イエス様は、そこでは、何のしるしも行ないませんでした。彼らは宝を見つけることができませんでした。

祈り:主よ!天の御国は価値ある真珠のようです。私が、世のどんなものをも惜しまずに投資し、天の御国を得ることができるように、助けてください。

一言:天の御国は価値ある真珠のようだ


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