聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2021]

2021年 01月 23日 (土)

マタイの福音書2:1-12(11)
幼子にひれ伏して礼拝した

イエス様はどんな方ですか。ユダヤ人の王です(2)。ユダヤ人の王とは、ダビデ王の子孫から生まれると約束された救い主、人類のメシアを意味します。異邦人である東方の博士たちが、遠いところから幼子イエス様を探して旅したことからも、イエス様が万民の王であることがわかります。全能の王は、どこでお生まれになりますか。ユダヤのベツレヘムです。ベツレヘムはユダヤの小さな村です。しかしイエス様が誕生したベツレヘムは、決して一番小さいところではなく、神の栄光が現されるところになりました。イエス様がお生まれなった飼い葉桶がある馬小屋も、みすぼらしいところではなく、聖なるところになりました。イエス様が誕生したところ、イエス様がおられるところは、小さくもなく、みすぼらしいところでもなく、栄光であり、聖なるところになります。私の内にイエス様がおられるなら、私は、決して小さくもみすぼらしくもありません。イエス様という宝を土の器に入れることで、栄光であり、聖なる者となるからです。

 イエス様は王としてどのように治めますか。当時、暴君ヘロデは権謀術数で民たちを酷く苦しめました。それに比べ、イエス様は牧者として、ご自分の民たちを愛と義で治められます。(6)イエス様は良い牧者です。イエス様は羊たちの為に自分の命をも捨てました。イエス様は羊たちを罪と死から救う為に低くなられ、この世に肉の姿で生まれ、十字架で自分の命をも与えてくださいました。東方の博士たちのイエス様に対する期待は、どうだったのでしょうか。彼らは幼子イエス様を礼拝しようと険しい旅路を耐え忍び、星を見失った時も決して諦めませんでした。彼らが再び星を見つけた時、この上もなく喜びました。遂に星の導く主人公に出会いました。ユダヤの王であり、愛と正義で治める牧者に出会ったのです。その時、彼らは喜びに溢れ、ひれ伏して礼拝しました。彼らは故国から持ってきた宝の箱を開け、贈り物を献げることで、王に対する礼遇を尽くしました。



適用:幼子イエス様をどのように礼拝しますか

一言:ひれ伏して礼拝し、宝物を献げよう



2021年 01月 24日 (日)

マタイの福音書2:13-23(23)
ナザレ人

ヨセフとマリアは、主の使いの指示に従ってエジプトに逃れました。博士たちが故国へ帰ると、ヘロデはベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させました。これはホセア書とエレミヤ書の御言葉が成就されたことです。ヘロデが死ぬと、主の使いがヨセフの夢に現れ、イスラエルの地に行くように言いました。しかし、暴悪なアルケラオがヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くことを恐れました。ヨセフは、夢で指示されたガリラヤ地方に退き、ナザレという町に行って住みました。ナザレの町に住んだことに対して、マタイは「ナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであると言及しています。歴史的に、ナザレは蔑視されてきた町でした。(ヨハネ7:41, 52)ガリラヤ人でさえ、ナザレから何か良いものが出るだろうかと言いました。(ヨハネ1:46)ナザレは誹謗と侮辱の象徴でした。イエス様は、ユダヤ人の王として来られ、約束されたメシアでありながら、誹謗と侮辱のナザレで成長されました。このナザレ人イエス様は、私たちの蔑視される悲しみと痛みを分かって下さる方です。イエス様は、私たちを哀れみ深く、慰められる救い主です。ナザレ人イエス様を受け入れる時、真の慰めと平和が臨みます。



適用:蔑視される痛みがありますか

一言:ナザレ人イエス様は私たちをあわれみ深く思われます


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