聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2021]

2021年 04月 23日 (金)

マタイの福音書9:1-13(13)
罪人を招くためです

 イエス様は、床に寝かせたまま中風の人を運んできた人たちの信仰を見ました。イエス様は中風の人に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われました。すると律法学者たちは「この人は神を冒涜している」と心の中で言いました。なぜなら、神様だけが罪を赦すことができると考えたからです。彼らの考えは間違いではありません。しかし、彼らはイエス様こそが神様であり、罪を赦す権威がある方だと悟ろうとしませんでした。イエス様は中風の人を起き上がらせ、ご自分に罪を赦す権威があることを表しました。

 イエス様はそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「私について来なさい。」と言われました。すると、彼は立ち上がってイエス様に従いました。イエス様が家の中で食事の席についておられるとき、取税人たちや罪人が大勢来て、イエス様や弟子たちと共に食卓に着いていました。パリサイ人たちはイエス様を断罪しました。イエス様はこれを聞いて「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人です。」と言われました。イエス様は罪の病を患っている罪人たちのために、この世に来られました。イエス様はパリサイ人たちに向かって「わたしが喜びとするのは真実な愛。いけにえではない。私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」と言われました。イエス様は罪を患っている人々を招き、救う為に来られたのです。自分が義人だと思う人は、イエス様に出て行かないので罪の赦しを受けられません。しかし、自分が罪人であることを認めてイエス様に出て来る人は、イエス様が与える罪の赦しを受けることが出来ます。イエス様はどんな罪人をも罪を定めず、赦されます。



適用:罪人ですか

一言:私は罪人を招くために来たのです



2021年 04月 24日 (土)

マタイの福音書9:14-17(17)
新しいぶどう酒は新しい皮袋に

イエス様はマタイの家で弟子たちと共に美味しく食事を召しあがっておられました。ヨハネの弟子たちがイエス様のところに来て「私たちとパリサイ人はたびたび断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」と問い詰めました。ヨハネの弟子たちは、イエス様と弟子たちが敬虔ではないと思いました。彼らにとっての信仰生活とは、定期的に断食し、灰をかぶって悔い改め、敬虔な姿で歩き回ることでした。しかしイエス様は、自分の弟子たちは花婿に付き添う友人たちのようだから、無理やり断食する必要はないと言われました。信仰生活は、無理に何かを苦しんでする生活ではありません。イエス様が共におられる信仰生活は、喜びと感謝に満ち溢れます。イエス様の弟子たちが断食をしなければならない時は、喜びの源となるイエス様を見失う時です。

 真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません。新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。ヨハネの弟子たちの問題は、固定観念のせいでイエス様の新しい教えを受容できなかったことです。彼らは、これらのことから自由になるべきでした。形式的で律法的な考えに縛られるよりも、何をするにしろ本質を見極め、新しく学ぼうとしなければならないのです。古い固定観念と頑なな考えを打ち破り、開かれたた心でイエス様を見習う時、私たちは喜びが満ち溢れる人生を生きるようになります。



適用:古い皮袋になっていませんか

一言:新しい皮袋になりましょう



2021年 04月 25日 (日)

マタイの福音書9:18-26(25)
死んだ少女を起き上がらせたイエス様

イエス様が話しておられると、一人の会堂司が来てひれ伏し、「私の娘が今、死にました。でも、おいでになって娘の上に手を置いてやって下さい。そうすれば娘は生き返ります。」と言いました。イエス様は彼について行かれる途中、十二年の間長血を患っている女の人に会いました。その女の人は、イエス様の後ろから近づいて、その衣の房に触れました。「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる。」と心の内で考えたからです。イエス様は信仰によって出てきた彼女に「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われました。イエス様は彼女の信仰を祝福し、病も癒して下さいました。イエス様が会堂司の家に到着されると、笛吹く者たちや騒いでいる群衆がいました。彼らは会堂司の娘の死を悲しむ雰囲気をつくっていました。イエス様は彼らを追い払い、「少女は死んだのではなく、眠っているのです。」と言われました。人々はあざ笑いました。イエス様は彼らを外に出されると少女の手を取られました。すると少女は起き上がりました。少女を死から復活させたイエス様の話は、地方全体に広まりました。

 イエス様は死んだ人をも生かす復活の主です。信仰によってイエス様に触れる者は救われます。イエス様が手を伸ばして下されば、死んだ者も生かされます。私たちが絶望的な状況にあっても、信仰によってイエス様に出て行くように祈ります。死んだ少女の手を取って起き上がらせた復活の主にあって、いのち溢れる生活ができるようにお祈りします。



適用:いきいきとした生活をしたいですか

一言:イエス様の手を取り起き上がって下さい



2021年 04月 26日 (月)

マタイの福音書9:27-34(29)
あなたがたの信仰のとおりになれ

 イエス様が会堂司の娘を生かした後、そこから進んで行くと、目の見えない二人の人が「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください。」と叫び声を上げました。イエス様がカペナウムの家に入られると、その人たちがみもとに来ました。彼らは目が見えない者たちであるにもかかわらず、家までついて来たのです。イエス様は彼らの信仰に感動され、「わたしにそれができると信じるのか。」と言われると、彼らは「はい、主よ。」と答えました。目の見えない者が、目が開かれると信じることは、立派な信仰です。イエス様は彼らの信仰を祝福し、目をさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われました。すると彼らの目が開きました。イエス様は彼らに癒されたことを言わないように厳しく命令されました。しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエス様のことを言い広めてしまいました。その人たちが出て行くと、人々はイエス様のみもとに、悪霊につかれて口のきけない人を連れて来ました。イエス様によってその人から悪霊が追い出されると、口のきけない人がものを言うようになり、群衆は驚いて「こんなことはイスラエルで、いまだかつて起こったことがない。」と言いました。しかし、パリサイ人たちはイエス様を受け入れるどころか悪霊どものかしらによって悪霊を追い出していると誹謗しました。

 癒しを通してイエス様はご自分に来る人々の信仰を祝福しました。目の見えない者たちは、絶対的な信仰と不屈のスピリットでイエス様について行き、訪ました。しかし、パリサイ人たちはイエス様を非難し、受け入れませんでした。信仰によって出て来た者たちは、祝福されましたが、パリサイ人たちはイエス様の恵みに無関係な人たちとなりました。イエス様は信仰の人々を喜ばれます。



適用:イエス様にそれができると信じますか

一言:信仰のとおりに



2021年 04月 27日 (火)

マタイの福音書9:35-10:15(10:2)
十二使徒

 イエス様はすべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒されました。イエス様は群衆を見て深くあわれまれました。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからでした。羊飼いのいない羊たちが一番かわいそうです。群衆には彼らを守る牧者たちが必要でした。イエス様は、この世の問題は牧者がいないことだと思い、弟子たちに祈り課題を与えました。「収穫は多いが働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」と言われました。イエス様は、弟子たちがこの時代の牧者、収穫の働き手になる望みを持つように助けられました。そして十二弟子を十二使徒として立てました。使徒とは、イエス様に代わって遣わされた者という意味で、イエス様に代わってイエス様の心で時代に仕える者たちです。彼らはこの世で一番価値があり、また意味ある人生を生きる者たちです。イエス様は彼らをこの世に遣わしました。彼らがこの世に出て行き、イエス様の牧者の心情を見習って成長するためでした。

 この世の根本問題は、牧者がいないことです。それでこの問題の真の解決法は、イエス様の心、権威と真理を持つ使徒たちを立てることなのです。私たちはこの時代の使徒としての自負心を持たねばなりません。又、私たち以外にもイエス様のような牧者たちが多く立てられるように祈らなければなりません。イエス様に似た牧者たちが多くなれば、この世に希望が溢れるようになります。私たちが収穫の働き手となり、使徒となり、牧者のいない羊たちに天の御国の福音を宣べ伝え、彼らを助ける者たちになるように祈ります。



適用:この時代の希望は何ですか

一言:使徒たち


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