聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2021]

2021年 05月 21日 (金)

マタイの福音書13:1-17(12)
持っている人は与えられてもっと豊かになり

 イエス様は家を出て、湖のほとりに座っておられました。すると大勢の群衆がみもとに集まってきました。イエス様は群衆と距離を取り、舟に乗って、岸辺にいる群衆に教え始められました。種蒔く人のたとえを語られました。種を蒔く人が種を蒔きました。いくつかの種は道端に落ちました。道端の地面は固いので、種は地面の上に居続けます。すると鳥が来て食べてしまいました。別の種は、土の薄い岩地に落ちました。種は土の中に入りすぐに芽を出しました。しかし、岩地なので根を深く下ろせません。やがて日が昇ると、暑い熱を受け、水分不足で枯れてしまいました。別の種は茨の間に落ちました。種は育ちましたが、茨が養分を奪い取り、ふさいでしまいました。最後に、別の種は良い地に落ちました。この種は良く育ち、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍と驚くほどの実を結びました。このたとえは、みことばの驚くような価値と可能性を知り、御言葉を聞くために良い態度をとることについて教えています。イエス様はこのたとえを話されてから、「耳のある者は聞きなさい」と仰せられました。

 弟子たちが近寄ってきて、なぜ群衆にたとえでお話になるのかと尋ねました。群衆にたとえでお話された理由は、天の御国の奥義を知ることが弟子たちには許されていても、彼らには許されていないためです。霊的な願いを持つ人は、たとえによって多くのことを悟り、豊かになります。しかし、霊的な願いのない人はたとえの意味がわからず、聞き流してしまいます。たとえには願いのない人をさばき、願いのある人を祝福する働きがあります。霊的な願いのない人の内面はどのようでしょうか。彼らはイザヤの預言のとおり、心で悟ることも、立ち返ることもなく、心は鈍くなっていました。これでは御言葉を受け取れません。しかし弟子たちは違います。彼らの目は見ており、耳は聞いているから幸いです。多くの預言者や義人たちが切に願ったのに、見られず、聞けなかったものを弟子たちは聞いているのです。今の人は関心があれこれとあります。しかし、わたしたちのいのちを豊かにするのは神様のみ言葉だけです。



祈り:天の御国の奥義を知ろうとする願いがありますか

一言:霊的な願い



2021年 05月 22日 (土)

マタイの福音書13:18-23(23)
みことばを聞いて悟る人

 イエス様は種まきのたとえを説明されました。だれでも御国のことばを聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。道端に蒔かれたもののことです。道端のような固い地面にみことばが蒔かれても、悪いサタンに奪われてしまいます。

 また岩地に蒔かれたものとは、みことばを聞いた時に、すぐに喜んで受け入れるケースです。土が薄いため芽は出ますが、根がなく、しばらく続くだけです。みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。結実するためには岩をどかさなくてはいけません。

 世の思い煩いと富の誘惑は、茨のように旺盛な吸収力を持っています。種が芽を出し、育ち、実を結ぶために必要な栄養分をすべて奪ってしまいます。茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞いても、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさいでしまうケースです。

 良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。良い地は道端のように固くなく、岩や茨を取り除いた、柔和な心を指しています。このものが結実する実は、百倍、六十倍、三十倍となります。種は同じであっても、どの地に落ちるかによって実りが左右されるのです。私たちが心の畑を良い地に耕し、準備することは大切なことです。



祈り:心の状態はどうですか

一言:良い地



2021年 05月 23日 (日)

マタイの福音書13:24-30, 36-43(43)
太陽のように耀きます

 ある人が願いを込めて自分の畑に良い種を蒔きました。ところが人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて立ち去りました。時がたち、麦が芽を出し実った時、毒麦も現れました。しもべたちは主人にこのことを告げました。主人は敵がしたことに気付いていました。しもべたちは毒麦を抜き集めようと願いましたが、主人はそのままにしておくように言いました。毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれないからです。主人は収穫まで両方とも育つままにしておきました。そして、収穫の時に、刈る者たちに言いつけ、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて倉に納めるようにさせました。

 世界には、御国の子たちだけではなく、悪い者の子たちもいます。毒麦のような者たちです。世界では、悪が次第に勢力を増しています。正しい人が迫害を受け、悪人が栄えているようにも見えます。しかし、世には、いつか必ず終わりが来ます。人の子が御使いを遣わす審判の日は遠からず訪れてきます。この時イエス様は正しい人をつまずかせた者や不法を行う者たちを取り集めて、火の燃える炉の中に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりをするのです。半面、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように耀きます。この望みがあるから、わたしたちは悪がはびこる世界にあっても耐え忍び、信仰の道を最後まで歩み続けることが出来るのです。



祈り:正しい人の道を歩んでいますか

一言:正しい人は太陽のように



2021年 05月 24日 (月)

マタイの福音書13:31-35(31)
天の御国は一粒のからし種のよう

 イエス様は天の御国を畑にまいた一粒のからし種にたとえられました。からし種はどんな種よりも小さく、目で簡単に見つけることができないほどです。しかし、成長すると、どの野菜よりも大きくなって木となります。空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。ガリラヤでイエス様が始められた天の御国は一粒のからし種のように小さく、微々たるもののようでした。しかし天の御国は成長し、大きな木となり、エルサレムとローマ帝国を覆うほどに大きくなりました。罪により疲れ果てていた人々は、この木の下で寄り添い、救いと平安を得るようになります。天の御国のはじまりは微々たるものであっても、後には壮大なまでに大きくなるのです。

 天の御国は、女の人が三サトンの小麦粉の中に混ぜ、全体を膨らませるパン種のようです。わずかなパン種でも数時間で全体の属性を変化させる強力な力があります。からし種のたとえが天の御国の外面的な成長を語っているならば、パン種のたとえは、天の御国が秘密めいても、強力な浸透性を持っていることを語っています。天の御国は見た目には現れなくても、密かに浸透し、強力な変化をもたらすダイナミックさを持っています。一人の中で始まる天の御国は、一人の価値観と人格と生き方の全てを造り替えます。ですから、私たちは、天の御国の力強い影響力を確信し、福音伝道に献身することができるのです。



祈り:天の御国が成長することを信じていますか

一言:木となり



2021年 05月 25日 (火)

マタイの福音書13:44-58(44)
持っている物をすべて売り払って買う天の御国

 天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠を一つ見つけた商人は、その価値を知っているので、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。天の御国は持っている物をすべて売り払ってでも、買うべきほどの価値があり、大切なことです。

 海に投げ入れてあらゆる種類の魚を集める網には、魚がいっぱいいます。網がいっぱいになると、人々はそれを岸に引き上げて、良いものは入れ物に入れ、悪いものは外に投げ捨てます。ここで網は教会を指しています。教会に出席しているからと言って全員が救われるのではありません。教会には信者もいますが、変化のない、偽クリスチャンもいるからです。この世の終わりになると、御使いたちが来て、正しい者たちの中から悪い者どもをより分け、火の燃える炉に投げ込みます。その時には、信者と偽クリスチャンが選び分けられるのです。

 イエス様の弟子たちは天の御国の奥義を悟り、教える、御国の学者です。イエス様から天の御国についての教えを受けた弟子たちは、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す一家の主人のようです。弟子たちには、天の御国の真理を心の倉に大切に収め、助けが必要な人たちに新しい物と古い物を分けてあげる責任があります。



祈り:天の御国を見つけましたか

一言:畑に隠された宝


<<(1)    前のページ(12)    13    次のページ(14)    (28)>>

聖書別日ごとの糧