聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2021]

2021年 07月 20日 (火)

マタイの福音書18:1-14(4)
天の御国で一番偉い人

 弟子たちが、「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか。」とイエス様に尋ねました。イエス様は、子どもたちのようにならなければ、天の御国に入ることができず、子どものような人が、天の御国で一番偉いと言われました。子どものようだという意味は、自分を低くする人、つまり謙遜な人を意味します。 謙遜な人が天国で一番偉い人です。自分が偉い人だと考える時、人を無視しやすくなります。特に子どものような小さい者たちを無視しやすいです。しかし小さい者たちの一人をつまずかせる罪は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほど大きな罪なのです。イエス様は、私たちが小さな者たちの一人をつまずかせないためには、手足を切り捨て、目をえぐり出して捨てるほど罪と戦わなければならないと言われました。

高慢な心を持っている時、私たちの心に天国はありません。また、他の人に大きな苦痛を与えます。しかし、謙遜な心を持っている時、私たちの心に神の国が訪れます。自分が低くなった分、他の人は高くなって力を得て幸せになります。謙遜は私も幸せにし、他の人も幸せにします。しかし、謙遜になることは簡単ではありません。高くなろうとする心と戦わなければなりません。私たちは、子どものように自分を低くして小さい者たちの一人に仕える必要があります。大変なことですが、そうするなら、私たちの心と私たちが属する共同体が天国のような場所になるでしょう。



適用:天の御国で偉い人になりたいですか

一言:子どものようになってください



2021年 07月 21日 (水)

マタイの福音書18:15-20(15)
兄弟が罪を犯したなら

 兄弟が罪を犯したなら、無関心なままでいてはいけません。その兄弟が悔い改め、主に立ち返り、罪の重荷を捨てるように助けなければなりません。その兄弟を助ける時には、二人だけのところで指摘しなければなりません。その兄弟の罪と過ちを第三者の前で暴いたり、噂を広めたりすると、その兄弟は深く傷つけられてつまずくかも知れないからです。ですから、二人だけのところで指摘しなければなりません。その兄弟が聞き入れるなら、その兄弟を得ることになります。しかし、もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人を連れて行って二人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにしなければなりません。それでもなお、言うことを聞き入れないなら、どうすればいいでしょうか。 教会に伝え、教会の言うことさえも聞き入れないなら、異邦人か取税人のように扱うべきです。これはその兄弟との交際を断ち切る懲戒です。このように兄弟を厳しく扱う目的は、その兄弟が悔い改めて主に立ち返るためです。

教会の中で確認されてもない兄弟の過ちについて、むやみに話してはいけません。「開いた口には戸は立たぬ」という諺のように、悪口はあっという間に広がってしまいます。すると、互いに誤解が生じ、葛藤が増幅し、聖霊の器が壊れてしまいます。兄弟の過ちを見たり聞いたりする時、ただその人だけを相手にして勧告しなければなりません。そうすることで、お互いに誤解が生じず、その兄弟は悔い改めの実を結ぶことができます。

二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、神様はそれをかなえてくださいます。二人か三人が、主の名において集まっているところには、主もその中におられ、必ずその祈りに応えてくださいます。ですから、心を合わせて切に祈り求めなければなりません。



適用:罪を犯した兄弟をどのように助けていますか

一言:勧告と懲戒と祈り



2021年 07月 22日 (木)

マタイの福音書18:21-35(32)
赦し

 ペテロは兄弟が自分に対して罪を犯した場合、何回赦すべきかを知りたかったようです。彼は七回までは赦せると思いました。しかし、イエス様は七回を七十倍するまで赦さなければならないと言われました。限りなく赦すという意味です。

イエス様は、なぜこのように無限に赦さなければならないのかについて、例えを持って教えてくださいます。ある王が、自分の家来たちの負債を清算する時、一万タラントの負債のある者がいました。その家来は、自分自身と妻子と持っている物すべてを売っても返済することができませんでした。家来の主君は、かわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してあげました。その時、彼はどれほど感謝して喜んだでしょうか。ところが、その家来が出て行くと、自分に百デナリの借りがある仲間の一人に出会いました。彼は自分が一万タラントの負債を免除してもらったことをすっかり忘れて、その人の首を絞め、「借金を返せ」と言いました。彼の仲間は、もう少し待ってほしいと返済期限の延長を求めましたが、彼は承知せず、その人を牢に放り込んでしまいました。この事実が主君に伝わると、家来を呼びつけて言いました。「悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。」そして、彼が負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡しました。私たちは、父なる神様から一万タラントの罪の負債を免除していただいた者たちです。それなら兄弟姉妹たちの小さな過ちや罪については、当然赦すべきではないでしょうか。私たちの力では兄弟を赦すことはできませんが、返すことができない罪の負債を免除してくださった神様の恵みを覚える時、赦す力と恵みを受けることができます。



適用:何回赦すべきでしょうか

一言:七回を七十倍するまで


<<(1)    前のページ(17)    18    次のページ(19)    (28)>>

聖書別日ごとの糧