聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2021]

2021年 09月 16日 (木)

マタイの福音書21:1-11(9)
子ろばに乗られたイエス様

 エルサレム入城が目の前に近づいて来ました。キリストとしての戴冠式のために、イエス様は二人の弟子を向こうの村に行かせ、つながれているろばと子ろばを連れて来るように言われました。目的地まで来てろばに乗ろうとする理由は何でしょうか。これは預言者ゼカリヤを通して語られたこと(9:9)が成就するためでした。キリストは、主の主であり、王の王です。しかし、白馬に乗って軍楽隊のファンファーレと騎兵たちの護衛の中で入城する世界の王たちとは違います。一般民衆と子供も一緒に参加できるような戴冠式を準備されました。敷居が低くて、誰でもその前に出て行くことができます。人々が見下すような人さえも近づき、癒しと助けを求めることができます。イエス様は実に謙遜の王です。

弟子たちは自分たちの上着をろばの上に掛け、イエス様はその上に座られました。すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷き、木の枝を切って道に敷き、イエス様を王として迎えました。そして、イエス様の前を行く者たちも後に続く者たちも、「ホサナ」(お救いください)と叫びました。イエス様だけが私たちの誉れと賛美と栄光を受けるのにふさわしい方です。群衆と同じように、イエス様を自分の王として迎え入れ、治められるなら、私たちの心に救いの大きな喜びが与えられます。



適用:イエス様のために私の上着を敷きましたか

一言:ホサナ



2021年 09月 17日 (金)

マタイの福音書21:12-22(19)
葉があるだけの信仰生活

 イエス様はエルサレムに入城した後、まず宮に入られました。そして、宮の中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒されました。その理由は、祈りの家であるべき宮を、彼らが強盗の巣にしていたからです。宮の本質は、祈りの家として神様の臨在を経験するところにあります。ところが、それが無視され、商人たちと祭司長たちが自分たちの利益を求める強盗の巣になってしまいました。これがイスラエルの霊的な実態でした。

祭司長たちや律法学者たちは、イエス様がなさったいろいろな驚くべきことを見て、また宮の中で子供たちが「ダビデの子ホサナ」と叫んでいるのを見て腹を立てました。彼らは葉があるだけで、ほかには何も無いいちじくの木のようでした。イエス様は翌日の朝早く、都に帰る途中、葉があるだけで、ほかには何も無いいちじくの木を呪われました。「今後いつまでも、おまえの実はならないように。」すると、たちまちいちじくの木は枯れてしまいました。このようにイスラエルはすぐに枯れてしまうでしょう。みごとな宮の建物と神殿文化は健在でしたが、さばきを受けることになります。イエス様は私たちにも実を求められます。見た目だけの信仰生活をするとき、呪いを避けることはできません。



適用:実がありますか

一言:葉があるだけではいけない



2021年 09月 18日 (土)

マタイの福音書21:23-32(25)
真の権威者であるイエス様

 イエス様が宮をきよめ、宮に入って教えておられると、祭司長たちや民の長老たちがイエス様に言いました。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」彼らは人を助けることやみことばを教えることには関心がなく、どんな資格を持って仕事をするのかに関心がありました。つまり、資格を持つ自分たちだけが宮を管理し、群衆を教えることができると思っていたのです。彼らは権威主義に傾倒し、教権を守ろうと血眼になっている人々でした。

イエス様は、ヨハネのバプテスマが天から来たのか、人から来たのかを彼らが答えるなら、自分も何の権威によってこんなことをするのかを答えると言われました。彼らはこの言葉がどういう意味なのかを知っていました。ヨハネのバプテスマが「天から」と言えば、ヨハネが証言したイエス様を認めることになります。また、「人から」と言えば、ヨハネを預言者とする群衆からそっぽを向かれます。返事に困ると、彼らは分からないと答えました。するとイエス様も何の権威によってこれらのことをするのか、言われませんでした。神様の権威を持って来られたイエス様を排斥する彼らは真の権威を持っていませんでした。

イエス様は、二人の息子のたとえを通じて、神様の権威に従わない彼らの罪を咎めます。兄は父にぶどう園に行きたくないと答えましたが、後になって思い直し、出かけて行きました。弟は父に行くと答えたものの、行きませんでした。このたとえの中で父の権威に従ったのは兄のほうです。このように初めは従わなかったものの、その後悔い改めた取税人たちや遊女たちのほうが、最後までイエス様を信じない彼らより先に神の国に入ります。



適用:権威はどこから来ますか

一言:天から



2021年 09月 19日 (日)

マタイの福音書21:33-46(41)
イエス様の権威に従わなければ

 イエス様はご自分の権威に従わない彼らの末路がどうなるのか、一つのたとえを言われます。ある家の主人は完璧にぶどう園を造って農夫たちに貸して旅に出ました。収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうと、しもべたちを遣わしました。ところが、農夫たちは収穫を渡すどころか、しもべたちを捕まえて、打ちたたき、殺し、石打ちにしました。彼らは、主人を主人として認めず、ぶどう園を自分たちのものと考えました。しかし、主人は堪えました。主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしました。しかし、農夫たちは彼らにも同じようにしました。二度も傷つけられましたが、主人は最後に自分の息子を遣わしました。これにより主人の誠実さと慈しみ深さを表しました。そして主人の権威を受け入れることを切実に願いました。

しかし、彼らは息子を送った主人の心を推し量ろうとするより、跡取りだから殺して、相続財産を手に入れようと考えました。そして彼を捕らえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまいました。主人が農夫たちのところに息子を送ったのは、力と権威がないからではなく、忍耐と哀れみ豊かな方であったからです。とうとう彼らはどうなりますか。イエス様のたとえを聞いていた彼ら自らがその答えを言いました。「その悪者どもを情け容赦なく滅ぼして、そのぶどう園を、収穫の時が来れば収穫を納める別の農夫たちに貸すでしょう。」そうです。彼らは神の国を奪われ、滅ぼされるでしょう。神様の愛と権威を持って来られたイエス様を受け入れず、主人になりすます彼らは、裁きを受けます。



適用:あなたはどんな農夫ですか

一言:収穫の時が来れば収穫を納める農夫


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