聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2021]

2021年 09月 27日 (月)

マタイの福音書24:1-14(13)
最後まで耐え忍ぶ人は

弟子たちは、華麗な宮に注目しました。しかしイエス様は、その宮の「どの石も崩されずに、他の石の上に残ることは決してありません」と言われました。徹底的にすべてが破壊されるということです。弟子たちは、イエス様に宮とエルサレムの滅亡、そして主が来られることと世の終わりについて質問しました。イエス様はまずそのようなことが起こるしるしが何かを言われました。イエス様の名を名乗る者が大勢現れて、自分がキリストだと言って多くの人々を惑わします。戦争や戦争のうわさを聞くことになります。民族が民族に、国が国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。たくさんの災難が地球を襲います。その時、クリスチャンたちはイエス様の御名を信じることのゆえに、多くの苦しみに合わされ、殺されます。そのため多くの人が信仰の道につまずき、互いに裏切り、憎み合います。偽預言者が大勢現れて多くの人を惑わし、不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。そのような状況下で、イエス様の御名を否認せずに生きることは、とても難しいです。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証され、それから終わりが来ます。

 華麗な世がクリスチャンを誘惑します。患難と迫害の中で救いの恵みを守ることは易しくありません。しかし、どんな誘惑と迫害の中でも私たちは救いの恵みを命のように思い、それを守らなければなりません。すべてのことを失っても、救いを失わない人々が真の勝利者です。彼らは世の終わりに主が来られる時、カラカラと笑うことでしょう。反面、今の瞬間を楽するために、あるいは今、目の前の苦難を避けるために主を裏切る人は最後の瞬間、苦い涙を流すようになります。



適用:誘惑と迫害に揺れ動くのですか

一言:耐え忍ぶ人



2021年 09月 28日 (火)

マタイの福音書24:15-31(30)
人の子が来るのを見る

預言者ダニエルが預言したとおり、荒らす忌まわしいものが聖なる所に立つ時が来ます。これは、エルサレム神殿が汚され、恥辱を受けるようになる事件を指しています。そのようなことが起こる時、ユダヤにいる人たちは山へ逃げるべきです。山は神様の保護と助けの象徴です(詩11:1) 。その時、屋上にいる人は家にあるものを取り出そうと下に降りてはいけないし、畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません。一瞬でも手間取っていると、神様が用意してくださった救いの機会を失いかねません。世のものに対する執着を捨てて迅速に救いの道に抜け出ていかなければなりません。

 大きな患難の日、身重の女たちや乳飲み子を持つ女たちは哀れです。逃げるのが困難になるからです。ですから、そのようなことが冬や安息日に起こらないように祈るべきです。この苦難の時、キリストがここにいるとか、そこにいるとか言う人がいても信じてはいけません。偽キリストたちや偽預言者たちが現れて大きなしるしや不思議を行って、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとします。しかし聖徒たちはそのような言葉に惑わされてはいけません。人の子は稲妻が東から出て西にひらめくのと同じように、すべての人がはっきりとわかる方法で到来されます。禿鷹が集まるところには死体があることが分かるように、色々なしるしを通して人の子の再臨を知ることができます。 

 その苦難の日の後は、歴史上類を見ることのない天体異変が起こります。そのとき、人の子のしるしが天に現れ、地のすべての部族は聖なる裁判長の前で胸を叩いて悲しみます。彼らは人の子が天の雲の内に偉大な力と栄光とともに来られるのを見るようになります。その日は不信者たちには恐ろしい裁きの日ですが、選ばれた者たちには救いの日です。



適用:何を望みますか

一言:人の子が来られる



2021年 09月 29日 (水)

マタイの福音書24:32-51(45)
忠実で賢いしもべ

いちじくの木の枝が柔らかになって葉が出ると、夏が近づいたことが分かります。同じようにこれらのことをすべてを見たら、人の子が戸口まで近づいているのを知るべきです。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。天地が消え去っても、イエス様の御言葉は消え去ることがありません。それほどイエス様の再臨は確実です。しかしその日とその時がいつなのかは、誰も知りません。ただ父なる神様だけが知っておられます。

 ノアの時と同じように人の子も到来します。ノアが箱舟に入るその日まで人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりして世のことに夢中でした。終末の時にも、人々は世のことに夢中になって霊的なことに無関心でいます。その時、二人が同じ場所にいるのに一人は取られ、一人は残されます。ですから、私たちは目を覚ましていなければなりません。いつ主が来られるか分からないからです。人の子は、私たちが全然考えてもいない、思いもかけない時に来られます。再臨を準備している者として、私たちはどのように生きるべきでしょうか。忠実で賢いしもべとなって、折にかなって食事を与える生活をしなければなりません。まだイエスキリストの再臨について知らない人々に豊かな霊的糧を分け与えながら、福音を宣べ伝えなければなりません。イエス様が再臨される時、そのようにしていることを見てもらえるしもべは幸いです。反面イエス様が遅く来られると思って食べたり飲んだりして、自分の思いのまま生きている人には、予期していない日、思いがけない時に主人が現れ、厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。



適用:イエス様の再臨を準備していますか

一言:食事時に食事を与えるもの


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