聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2022]

2022年 05月 22日 (日)

マルコの福音書13:1-13(10)
まず福音が、すべての民族に

 荘厳華麗な神殿に息をのむ弟子たちに、イエス様はどの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してないと言われました。すると、それは世の終わりの時だと考えた弟子たちは、その日がいつなのか、時としるしについてイエス様に尋ねました。イエス様は弟子たちに終わりの日のしるしについて教えられます。一番目に、にせキリストの出現です。キリストの名を名乗る者が大勢現れ、多くの人を惑わします。二番目に災難の連続です。戦争や戦争のうわさが芋づる式に起こります。三番目に増加する迫害です。人々は弟子たちを地方法院に引き渡し、会堂でむち打ちにします。イエス様のために、弟子たちは総督たちや王たちの前に立たされます。しかし、このような迫害にあっても、聖霊に頼って最後まで耐え忍ぶ人は救われます(11,13)。

 この終わりのしるしの中でも、まず福音が、すべての民族に宣べ伝えられなければならないとイエス様は言われました。これは、すべての民族に福音が伝えられた後、世の終わりが来るという意味です。神様が、すべての民族に福音が宣べ伝えられた後で、世の終わりを下そうとされるのは、一人でも多く救われるためです。神様は、全ての民族の救いを目標に、御業を行なっておられます。世界宣教の御業がもっとも大切なことです。ですから、世の終わりのしるしに恐れを抱いたり、萎縮したりするのではなく、福音を伝えてゆかなくてはいけないのです。



適用:世の終わりに何をしないといけませんか

一言:福音伝道



2022年 05月 23日 (月)

マルコの福音書13:14-27(26)
人の子が来るのを見ます

 世の終わりが来る前に、ひどい苦難がある事をイエス様は教えておられます。荒らす忌まわしいものが、立ってはならない所に立つとき、その苦難が起こります。苦難の際、ユダヤにいる人たちは山へ逃げないといけません。この時、世に対する未練を捨てなければいけません。偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちを惑わそうとします。このためいっそう注意しないといけません。

 しかし、この苦難の後に、イエス様が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに再臨されます。イエス様がこの世にお生まれになった時は、その姿を見たのはわずかな人だけでした。イエス様は苦難のしもべの姿として生まれてこられました。しかし、イエス様が再臨されるときは、裁く権限をもち栄光とともに来られます。そのとき、イエス様は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。彼らは主とともに、その栄光に預かる人々です。イエス様が栄光の姿で再臨されることを信じる時、苦難に打ち勝ちます。イエス様の栄光ある再臨こそ、苦難の中で生き抜いてゆくクリスチャンのまことの希望です。



適用:何を望んでいますか

一言:栄光あるイエス様の再臨



2022年 05月 24日 (火)

マルコの福音書13:28-37(35)
目を覚ましていなさい

 イエス様は、栄光の再臨に備えるように教えられます。いちじくの木や葉を見て時を分別するように、イエス様が語られたしるしで時を悟り、イエス様の再臨に備えてゆかなくてはいけません。イエス様の再臨に備える生活とは、イエス様から任せられた仕事を忠実に担い歩むことです。

 クリスチャンがイエス様の再臨を備える生活とは、ちょうど旅に出る人のようです。主人が家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて、門番には目を覚ましているように命じるのと似ています。門番の役割は、目を覚まして、主人の帰りを出迎えることです。門番が主人の帰りを考えず、さぼって、少しでも寝てしまうと、主人を出迎えることができません。主人が突然帰ってきた際、門番が目を覚ましていなければ、主人から責められることでしょう。反対に、主人がいつ戻ってきても、喜んで出迎えるのであれば、主人から褒められることでしょう。このように目を覚ましていなければならない理由は、イエス様がいつ来られるのか、誰にもわからないからです。みことばのとおり、イエス様は必ず再臨されます。ですから、クリスチャンは目を覚まして、しるしをよく見て、自分に任せられた仕事を忠実に担うことが大切です。そうすることで、イエス様の再臨を出迎えることができるでしょう。



適用:眠っていませんか

一言:目を覚ましていなさい


<<(1)    前のページ(8)    9    次のページ(10)    (14)>>

聖書別日ごとの糧