聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2017]

2017年 01月 19日 (木)

ルカ7: 18-23 (23)
つまずかない者は幸いです

  バプテスマのヨハネの弟子たちが、イエス様の働きについてヨハネにすべて報告しました。イエス様は多くの奇跡を行い、神様の御言葉を語られました。特にイエス様は、やもめの死んだ息子を生かす驚くべき奇蹟を行なわれました。人々は、偉大な預言者が現れたと驚きました。すると、ヨハネは、弟子たちの中からふたりを送り、イエス様に「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか」と質問しました。イエス様は彼らに、盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返っていることをヨハネに伝えるように言われました。これは旧約聖書で約束されているメシヤのしるしです(イザヤ35:5,6;61:1)。イエス様は、ご自身がメシヤであることを明らかにされました。
  イエス様は、私たちのすべての罪と咎と死から救ってくださる憐れみ深いメシヤです。イエス様は、ご自身のことでつまずかない者は幸いですと言われました。人々のイエス様に対する信仰は、いつ揺らぐのでしょうか。自分の期待通りにイエス様が動いてくれない、と感じる時です。バプテスマのヨハネは、裁き主としてのイエス様を力強く証しました(ルカ3:7-17)。ところが、彼が自分の考えでイエス様を見ると、イエス様は裁きの働きをやっていないように見えました。また、イエス様が義人である自分を助けてくださらないことに対しても疑問を抱いたかもしれません。これによって、イエス様が約束されたメシヤであるという確信が、揺らいだかもしれません。私たちが自分の考えと自分の視点だけでイエスキリストを判断すれば、信仰が揺らぐ可能性があります。しかし、キリストの道は私たちの願いや計画をはるかに超えて計り知れず、神様の深い計画の中にあります(イザヤ55:8,9)。私たちは自分の考えでイエス様を勝手に判断して、つまずかないように、気を付けなければなりません。
  
  

適用 : イエス様が聖書に約束されたそのメシヤであることを確信しますか。

一言 : イエス様は聖書の通りに働く



2017年 01月 20日 (金)

ルカ7: 24-35 (32)
笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった

  バプテスマのヨハネの使いが帰ってから、イエス様は群衆に、ヨハネについて話しだされました。。バプテスマのヨハネは、風に揺れる葦のように弱い人、妥協する人、あるいは機会主義者でもありません。また、彼は世俗的ではなく、自身の出世を夢見る人でもありません。バプテスマのヨハネは、まことの預言者であり、預言者よりもすぐれた人です。バプテスマのヨハネは、マラキ書に預言された、キリストの前に遣わされる先駆者に当たります。バプテスマのヨハネは、この世で生まれてきた人物の中でもっともすぐれた人です。その理由は、キリストが来られることを告げ知らせた預言者だからです。人間の偉大性の尺度は、キリストに対する知識とキリストとの関係性によって計られます。
  最も偉大な人は、イエス様をよく知り、イエス様と深い関係性を結んだ人です。イエス様の福音が完成された後、神の国を享受するようになった新約時代の聖徒たちは、いくら人間的に小さな人でもバプテスマのヨハネよりすぐれているのです。その理由は、イエス様をより詳しく知るようになったからです
  一般の人々は、バプテスマのヨハネを、神様から遣わされたしもべとしてその偉大性を認めました。しかし、宗教指導者たちは、バプテスマのヨハネのメッセージと洗礼をすべて拒みました。これは、バプテスマのヨハネを拒否したのではなく、彼を遣わした神様を拒否したことになります。当時の市場では、子どもたちが遊ぶ時に、片方が笛を吹けば、他方は踊りました。また片方で弔いの歌を歌うと、他方では声を出して悲しみました。ところが、子供達が適切な反応をしないと、期待外れでがっかりするしかありません。当時の宗教指導者たちは、バプテスマのヨハネやイエス様に対して当然示すべき反応を示さなかったのです。それは、バプテスマのヨハネやイエス様が間違っていたのではなく、彼らの内面が間違っていたからです。福音に対して正しい反応を示さないことは、最も深刻な罪です。
  

適用 : 福音に対してよく反応していますか。

一言 : 踊るか、泣くか



2017年 01月 21日 (土)

ルカ7:36-50 (47)
多くの罪の赦し、多くの愛

  女がイエス様をこのように愛したのは、返すことができない借り、つまり罪を帳消しにしてもらえたからです。 イエス様から受けた罪の赦しを思うと、女はイエス様を愛さずにはいられませんでした。しかし、シモンは自分が罪人であることがわからなかったので、罪の赦しをいただく必要があるとは思いませんでした。むしろ、罪人に近づいてはいけないと思っていました。
  イエス様は、どんな人でも罪が赦されれば新しい人生を歩めることをご存じだったので、罪人を受け入れました。イエス様は女に、罪の赦しを宣言し、新しい人生を生きるように助けて下さいました。罪の赦しをいただいた人は、イエス様を愛せるようになり、他の罪人を受け入れることができます。

適用:罪はもう赦されましたか。

一言:イエス様を愛しましょう


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