聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2017]

2017年 01月 28日 (土)

ルカ9:1-9(6)
至るところで福音を宣べ伝え

  イエス様は弟子たちを遣わし、旅のために何も持って行かないように命じました。杖も、袋も、パンも、お金も。下着二枚は旅するにあたって必需品のように見えます。しかしそれさえも、多すぎると言われました。これは、ただ生きておられる神様だけを頼るようにするためでした。また、イエス様はどんな家に入ってもそこにとどまり、そこから次の旅に出かけなさいと言われました。これは食べて寝る問題に縛られず、使命だけに集中するという意味です。福音を宣べ伝える時、受け入れない者に対してはどんな姿勢をとるべきでしょう。足のちりを払い落し、証拠にします。彼らに臨まれる裁きをはっきりと警告すべきです。
  弟子たちは出て行って、村から村へと回りながら至る所で福音を宣べ伝え、病気を直しました。同時にユダヤの全地域で驚くべき聖霊の御業が起こりました。ヘロデはこの便りに心の平穏を失い、不安と恐れに苛まれました。これは、彼がヨハネの首をはねたことを思い出し、ヨハネがよみがえったのではと心配したからです。弟子たちの伝道の御業は、当時ヘロデ宮殿を震えさせるほど社会的に大きな波紋を呼びました。

適用:福音を熱心に伝えていますか。

一言:至る所で



2017年 01月 29日 (日)

ルカ9:10-17(16)
五つのパンと二匹の魚を取り、祝福して

  この時、イエス様は、「あなたかがたで、何か食べるものをあげなさい。」と言われました。弟子たちの懐ぐあいをよく知っておられるイエス様が、このように命じられた理由は、何でしょうか。これは、彼らを牧者として訓練しようとしたからです。牧者はどんな状況であれ、羊たちを責任持って食べさせる人です。私たちは、自分のことで精一杯だと思う時があります。今、私の状況と立場では、到底羊たちを食べさせられない、と思いがちです。ところが主は、私たちがどんな状況にあっても、羊たちを食べさせる牧者になることを願っておられます。
  弟子たちにはパン五つと二匹の魚しかありませんでした。しかし、イエス様はそれを受け取って天を見上げ、祝福しました。五つのパンと二匹の魚を通して五千人を食べさせる奇跡を行いました。羊たちに対する責任感と生きておられる神様に対する信仰で、五つのパンと二匹の魚を捧げると、神様は私たちを通して、この時代のキャンパスの羊たちを食べさせることを成してくださいます。

適用:五つのパンと二匹の魚を主に捧げていますか。

一言:食べて皆が満腹した



2017年 01月 30日 (月)

ルカ9:18‐27(20)
あなたがたは私を誰だと言いますか

  イエス様は、キリストが歩む道に対して教えてくださいます。キリストは多くの苦しみを受け、十字架で死なれ、三日目によみがえるのです。イエス様はなぜこのような道を歩まなければならないでしょうか。人間の根本問題は、神様を離れた罪のためです。イエス様についていく弟子は自分を捨て、日々自分の十字架を負うべきです。人々は自分を否認し十字架を負うことを負担に思い、自分の命を救おうとします。ところが誰でも自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、誰でもイエス様のために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとい全世界を手に入れても、魂を失えば何の得がありましょう。イエス様を恥と思うなら、イエス様も再臨の時、その人を恥とします。

適用:私にとってイエス様はどんな方ですか。

一言:神のキリスト



2017年 03月 24日 (金)

ルカ9:28-43(35)
彼のいう事を聞きなさい

 山から下りてこられた時、山の下にいた弟子たちは悪霊につかれた子供一人さえも癒すことが出来ず苦労していました。イエス様は、不信仰な、曲がった今の世を叱られ、汚れた悪霊を叱って子供を癒してくださいました。信仰とは、目の前にイエス様がおられなくてもイエス様の力に頼ることです。信仰とは、経験や目に見える事よりも、ひたすらイエス様の御名の力に頼ることです。弟子たちに信仰がなかった理由はイエス様の御言葉を聞かなかったからです。過去の経験に頼ったからです。毎日イエス様の御声を聞いてイエス様の御名の力に頼るとき、悪霊を追い出し、人を癒す働きが出来ます。

適用:苦難に対する御言葉を負担に思われますか

一言:聞きなさい



2017年 03月 25日 (土)

ルカ9:43-56 (48)
一番小さい彼が一番偉い

 人は高い地位につくことに関心があります。その地位で享受出来る栄光を得たがるからです。弟子たちもそんな考えでいっぱいでした。ところがイエス様は、 偉大な人になるためにはご自分の十字架の死と復活の意味を悟らなければならないことを教えられました。そして子どものような一人を受け入れるべきであることも教えられました。なぜなら、これが偉大なイエス様についていく生き方であるからです。本当の偉大性は地位にあるのではなく、イエス様を学ぶことにあります。イエス様を学び、子どものような一人を受け入れる人がイエス様に似た偉い人です。

適用:偉い人になりたいですか

一言:子どもを受け入れなさい



2017年 03月 26日 (日)

ルカ9:57-62 (60)
イエス様についていく姿勢

 イエス様はまた別の人に「わたしについて来なさい」と言われました。しかしその人は、まず行って父を葬ってから主について行くと答えました。この世で自分の父親を葬ることほど大切なことはありません。それにもかかわらず、イエス様は「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい」と言われました。これは、神の国を言い広めることが世のどんな仕事よりも大切で至急を要するものだということです。
 また、別の人が、まず家族にいとまごいしてから主に従うと言いました。彼は家族に対する憐憫と人間的な情に縛られていました。するとイエス様は、手を鋤につけてから後ろを見る者は神の国にふさわしくないと言われました。手を鋤につけたら後ろを見ないで前を見なければなりません。後ろを見ながらでは、鋤の仕事はできません。家族は神様に委ねて前を向いて主に従っていくべきです。

適用:主に従おうとしますか

一言:まず、神の国を言い広めなさい


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