聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2017]

2017年 03月 31日 (金)

ルカ11:1-13(2)
祈るときには、こう言いなさい

 ある人が、旅の途中で飢えている人に食べさせるために友人の家に行ってパンを三つ貸してほしいと頼みました。友人は戸締りをしてしまっており、子どもや自分も寝ているからと断りました。しかし、その人はあきらめずに、続けて求めました。すると、寝ていた友人はしつこく頼み続けてくる人に根負けして、起き上がって必要なものを与えざるを得ませんでした。イエス様は私たちがあきらめることなく、あくまで頼み続ける祈りをすることを願っておられます。イエス様は求め、捜し、たたく積極的な祈りを教えてくださいました。悪い者であっても自分の子どもには良い物を与えます。とすればなおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。父なる神様は私たちに聖霊をくださいます。聖霊はすべての祝福の源です。

適用:どのように祈っていますか

一言:こう言いなさい



2017年 05月 20日 (土)

ルカ 11:14-28(20)
神の国が来ました

 悪霊が人の心を支配しているのに、人の力で彼らと争ったり、追い出すことができるでしょうか。悪霊よりもっと強い神の指、聖霊によってのみ悪霊を追い出すことができるです。悪霊が追い出された人の心は神様が治めて下さいます。人の幸福や不幸は誰に治められるかにかかっています。一度悪霊が追い出されたとして油断してはいけません。悪霊が以前よりもっと悪い霊たちを連れて入ると、以前よりさらに悪くなります。イエス様が明快に霊的真理を話されると、一人の女性がイエスの母は幸いであると称賛しました。しかし、幸いなのは、神様の御言葉を聞いてそれを守る人たちだとイエス様は言われました。地上での最高の幸せは、神様の御言葉を聞いてそれを守ることです。 神様の御言葉を聞いてそれを守るとき、私たちは心に臨まれた神の国を守ることができます。

適用:悪霊が追い出されましたか

一言:神の国が来ました



2017年 05月 21日 (日)

ルカ 11:29-36(34)
あなたのうちの光が、暗やみにならないように

 人々があかりをつける理由は暗い所を照らすためです。それであかりを隠すことなく、 最もよく照らせる場所に光を置きます。私たちの体にある目は、このようなあかりの役割をします。目が明るくてこそ、この世と歴史と人生をきちんと見ることができます。目が悪ければ、まともに見られないし、見ることができません。目が悪ければ、私たちの心と生活は暗くなります。したがって、心が明るいか暗いかを調べなければなりません。私たちの心が暗ければ目が暗いのです。それではどのようにすれば目が明るくなるでしょうか。イエス様が行うしるしだけを期待する人は目が暗くて心も暗くなります。しかし、イエス様の御言葉を聞いて悔い改める人は目が明るくなって心も明るくなります。

適用:あなたのうちの光は明るいですか

一言:本当に明るくなる



2017年 05月 22日 (月)

ルカ 11:37-54(41)
うちのものを施しに用いなさい

 イエス様は宗教指導者たちに恐ろしいわざわいが起きると言っています。 パリサイ人たちは熱心に十分の一を捧げていました。しかし、彼らは公義と神様への愛はなおざりにしていました。神様への愛をなおざりにしたとき、彼らの心は人目につかぬ墓のように、外側はきれいでも、その中は死体の腐る悪臭に満ちていました。また、律法学者たちは人々に負いきれない律法を一所懸命教えましたが、自分たちはその教えを実行しませんでした。自分も行わないような重い律法を人々に守るよう要求しました。彼らは命を生かすはずの律法で、むしろ民を殺していました。表向きは熱心に律法を守るように見えても、強奪と邪悪で汚れた心をきれいに洗わないなら、神様の恐ろしいわざわいが下ります。強奪と邪悪な心を悔い改めて助けが必要な人に施しをする時、私たちの心はきよくなります。

適用:聖いい生き方は何でしょうか

一言:罪を悔い改めて施す生き方


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