聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2017]

2017年 07月 15日 (土)

ルカ 14: 1-6(3)
安息日に病気を直すことはよくないことですか

 宗教指導者たちは、自分の息子や、自分の牛のためなら、安息日の守り方に例外を設けていました。しかし、他人の苦しみとなると関心がないのです。それでいて、神と人とを愛するという神の律法を落ち度なく守っていると信じていました。そこで、イエス様は、彼らが守る安息日の規定を取り上げて彼らの矛盾を指摘されました。困ったことになると、人だけではなく、家畜さえも助けるのに、水腫をわずらっている人のことは安息日だから直してはいけない、と言うことは自家撞着です。この指摘に対して、彼らは何も答えることができませんでした。彼らの偽善は明らかです。しかし、それはイエスキリストの時代の宗教指導者たちだけが持っていた問題ではありません。誰しもがその弱さをもっているのです。神様がイエス様をお遣わしになったのは、そのような罪から、私たちを救うためにほかなりません。法と伝統で社会は維持されているように見えますが、実は隣人に対する愛が社会を元気にさせているのです。

適用:隣人に対する愛がありますか

一言:すぐに引き上げてやらないのか



2017年 07月 16日 (日)

ルカ 14: 7-14(14)
復活のときお返しを受けるからです

 人々は高められたいので、いつも競争心と妬みを抱えて生きています。それだけでなく、低くされないかと心配し、いつも不安に苛まれてもいます。しかし、末席を選ぶ人はいつもその心に平安があります。それは、末席を選んだ際に、上座に上がることを期待しないので健康に良いのです。もし、上座に上がることを期待して末席を選んだのなら、それは謙遜を装った偽善であり、結果的に心は相変らず苦しくなります。究極的に私たちは神の御国の報いを期待しなければなりません。この世で高くされ、報いを受けるなら、神の御国で受けることはありません。この世で高くされ、称賛されることをかえって避けたほうが、天国でのお返しをいっぱい受けることになります。

適用:この世でお返しを受けることを願いますか

一言:復活のときお返しを受ける



2017年 07月 17日 (月)

ルカ 14: 15-24(17)
もうすっかり、用意ができました


適用:神の国の宴会の豊かさを知っていますか

一言:無理にでも連れて来なさい



2017年 07月 18日 (火)

ルカ 14: 25-35(26)
自分のいのちまでも憎まなければ

 イエス様の弟子は塩のようです。塩は塩らしい塩けを保つ必要があります。塩が塩けを失えば、世の中の腐敗と堕落を防ぐことはできません。イエス様はご自身についてくる人々の数が単に多くなることを願っておられません。数が多いことは良いことですが、数が少なくても、塩のように塩けを失わない弟子、弟子らしい弟子を求めておられます。弟子はイエス様よりもっと愛するものがあってはいけません。さらに、自分のいのちよりもイエス様をより愛さなければなりません。イエス様が十字架を背負われ、神様のために死なれたように、私たちもイエス様のために自分の十字架を背負い、死ぬ覚悟で臨むべきです。

適用:イエス様の弟子になりたいと思っていますか

一言:いのちまで憎まなければ


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