聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2017]

2017年 09月 22日 (金)

ルカ 22:1-23(20)
新しい契約

 イエス様は過越の食事を弟子たちと一緒にするとき、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われました。「これはあなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」弟子たちが、イエス様が十字架で死なれる理由と意味を覚えるように「わたしを覚えてこれを行いなさい」と言われました。イエス様は食事の後、杯も同じようにして言われました。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」新しい契約とは、イエス様が私たちのすべての罪のために死なれたので、私たちが罪の奴隷状態から解放されて神様の子供となり、自由に生きるようになるという契約です。古い契約は、律法を守ることによって成立する契約です。新しい契約は、イエス様の死が私の罪によるものであることを信じることによって成立する契約です。新しい契約を信じる時、十字架の力が私たちを罪の束縛から解放してくれます。新しい契約があるために、私たちはイエス様の中で自由に神様の民らしく生きることができます。新しい契約を覚えてこれを行う人は、イエス様に最後まで従うことができます。

適用:新しい契約の民になりましたか

一言:イエス様の血による新しい契約



2017年 09月 23日 (土)

ルカ22:24-38(26)
仕える人

 現在、自分が置かれたところで仕えて生きる人が本当に偉い人です。他人は、それをみすぼらしい生き方として見るかもしれませんが、神様は大きくご覧になってくださいます。現在の自分の地位が低くても、仕えが必要なその誰かに仕える人を神様は尊く思われます。神様は、その人に将来もっと大きなことを任せられます。仕える人がいるところに神の国が臨まれます。反対に、仕えられることしか考えていない人がいるところに苦しみがあります。自分が何をするにせよ、仕えるイエス様に見習うとき、神の国を享受し、また偉い人になれます。
敵応:偉い人になりたいですか
一言:仕える人



2017年 09月 24日 (日)

ルカ22:39-53(42)
父の御心の通りにしてください

 イエス様の祈りは、自分の願うことを捨てて神様の願われることを進んで受け入れるための戦いでした。イエス様はこの祈りの戦いにおいて勝利されました。神様が下さる杯を飲むことは復活の栄光に至らせる道であり、すべての人を生かす道です。ただ、その杯を飲むことはやさしくありません。人々はその杯を避けたがります。しかし、イエス様が飲まれなかったら、私たちはみな、罪による刑罰を受けなければなりませんでした。イエス様がその杯を飲まれたことによって、私たちは永遠のいのちを得るようになりました。私たちに与えられる神様の杯は、誰かを生かし、神様に栄光を帰すことになります。そして、私たちを復活の栄光に至らせます。ただ、私たちはその杯を自分の力で飲むことはできません。イエス様のように祈る時、神様から与えられる力によってその杯を飲めるようになります。神様の御心に従うことができます。
適応:自分の願いの通りになることを望みますか
一言:御心のとおりにしてください



2017年 09月 25日 (月)

ルカ22:54-71(69)
神の大能の右の座に着きます

 夜が明けると、議会が開かれ、宗教指導者たちはイエス様を尋問し始めました。彼らはイエス様に「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」と急き立てました。イエス様は、彼らがイエス様の言葉を信じることなく、イエス様が尋ねても答えないことを知っておられました。それでもイエス様は、彼らにご自身が神様の大能の右の座に着かれると言われました。この御言葉は、やがてイエス様が神の右の座に座って世界を統治され、さばかれるいう意味です。イエス様は、ご自分が神の御子であることを明らかにされました。イエス様は宗教指導者たちの前で裁判を受けていますが、やがて裁判官として彼らをさばかれます。それで、イエス様は宗教指導者たちの前でも堂々とご自分を明かされました。イエス様がこの世をさばかれるさばき主であることを信じる時、私たちは人々の前でイエス様を大胆に証しすることができます。不義な勢力の前でも堂々と生きることができます。

適用:イエス様はどんな方ですか

一言:やがて、世をさばかれる裁判官


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