聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2020]

2020年 03月 12日 (木)

ルカの福音書11:1-13(2)
 祈るときには、こう言いなさい

 ある人が旅行中に、真夜中に友人のところに行き、パン三つを貸してほしいと頼みました。するとその友人は、もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも自分も寝ているので、何もやることはできないと断りました。しかし、その人が、諦めずに頼み続けるなら、その友人は友だちだからとではなく、あくまで頼み続けてくる理由から、起き上がって必要な物を与えるのです。イエス様は私たちのより頼む祈りを願っておられます。イエス様は、求め、捜し、たたくという積極的な祈りを教えてくださいました。どんなに悪い父であっても自分の子どもにはよい物を与えるのです。だとすれば、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊をくださらないことがあるでしょうか。私たちが何よりもまず先に求めるべきことは、聖霊です。聖霊こそ、祝福の源です。

適用:祈るときには、どう言いますか

一言:こう言いなさい



2020年 05月 01日 (金)

ルカの福音書11:1-28(20)
神の国が来ているのです

 彼らの心を見抜いていたイエス様は、内輪もめすると、国も家もつぶれてしまうので、サタンは絶対にそんなことをするはずがないと言われました。ですから、イエス様が、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているということは、話になりません。
 イエス様は神の指によって悪霊どもを追い出しておられます。悪霊が追い出された心は、神様が治められます。人の幸せも不幸も、誰によってその心が治められているかにかかっています。一度、汚れた霊が出て行ったからといって、油断してはいけません。汚れた霊が、更にもっと悪い霊を連れて来て入り込み、住み着いてしまうなら、その人の後の状態は、はじめよりもさらに悪くなるからです。 
  イエス様がこれらのことを話しておられると、一人の女が「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」と声を張り上げて言いました。しかし、イエスは「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです」と言われたのです。地上で最高の幸いは、神様のみことばを聞いてそれを守ることです。神様のみことばを聞いてそれを守る時に、私たちは心に臨まれている神の国を固く守ることができます。

適用:悪霊を追い出しているでしょうか

一言:神の国は来ています



2020年 05月 02日 (土)

ルカの福音書11:29-36(34)
あなたのうちの光が保たれるように

 人があかりをつけるのは、暗いところを明るくするためです。それであかりを隠さずに、光が一番よくあたるように置きます。私たちのからだのあかりは、目です。目が健全であるなら、世のことや人の人生のことを正しく見ることができます。目が悪いとからだも暗くなるので、私たちの心も生活も暗くなります。ですから、自分の心が明るいのか暗いのかを、よく見分けなければなりません。心が暗いとすれば、それは目が悪いということです。
 どうすれば、目が明るくなるのでしょうか。イエス様の御言葉を聞いて悔い改める人は、目が明るくなって心も明るくなります。しかし、イエス様が行われるしるしばかりを求める人は、心とからだが暗くなってしまいます。私たちは、イエス様の御言葉を聞いて悔い改める生活に励み、自分のうちの光が暗やみにならないように、気をつけましょう。            

適用:私のうちの光は保たれているでしょうか

一言:光り輝く人生



2020年 05月 03日 (日)

ルカの福音書11:37-54(41)
うちのものを施しに用いなさい

 では、パリサイ人たちは、どのようにすれば、心がきよめられるのでしょうか。イエス様は彼らに向かって言いました。「うちのものを施しに用いなさい。」パリサイ人たちは、律法を守ることに一生懸命でしたが、全ては、自分自身を建て上げるためでした。牧者の心情がなく、他人には、一切関心がありませんでした。イエス様は、そんな彼らに、自分の時間やエネルギー、財を、困っている人、様々な事情で悩んでいる人たちを助け、施すために用いるように命じられました。自分の都合によってはなく、相手の必要性に沿って助け、与える。そんな他者との謙遜な交わりを通して、自分が他者に優った者ではないことが分かるようになります。いっさいが、きよいのだと分かるようになります。人のきよさは、人の努力やまじめさによって得られるものではなく、神さまが与えるものです。
 律法の専門家は、人々には負いきれない律法を教えましたが、それらを自分たちは守りませんでした。彼らは、命を生かす律法をもって人々を殺していました。公義(神の正しさ)と神の愛を抜きにした信仰生活は、周囲の人を傷つけ、つまずかせます。主が求め、喜ばれることは、私たちが、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだって主とともに歩むことです。(ミカ書6:8)

適用:きよい生活とはどんなものでしょうか

一言:貪欲を悔い改めて施しをする生活


<<(1)    前のページ(4)    5    次のページ(6)    (18)>>

聖書別日ごとの糧