聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2020]

2020年 05月 09日 (土)

ルカの福音書13:1-9(5)
悔い改めないなら、みな滅びる

 ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えました。時が来て、実を取りに来ましたが、何も見つかりませんでした。そこで、主人は、ぶどう園の番人に、三年もの間、実のならなかった木は、切り倒すようにと命じました。すると、番人は主人に、「どうか、今年一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。」と言い、もう一度チャンスをくださるようお願いしました。ぶどう園の番人であるイエス様は、実のないイスラエルを、最後まで信じてくださいました。それだけでなく、実がなるように世話をしてくださいます。私たちは、イエス様にとどまっているなら、多くの実を結ぶようになります。しかし、とどまっていないのなら、枝のように投げ捨てられ、枯れて火に投げ込まれます。(ヨハネ15:5.6)

適用:災難を見たら、どうすべきでしょうか

一言:まず悔い改めましょう



2020年 05月 10日 (日)

ルカの福音書13:10-17(12)
あなたの病気はいやされた

 その癒しの出来事を見た会堂管理者は、非常に憤りました。イエス様が安息日に女を癒したからです。イエス様は、そんな彼らを「偽善者たち」と叱責されました。当時のユダヤ人はみな、安息日にも、自分の牛やロバを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行きました。このように、家畜に対しては、安息日のルールを寛大に適用しました。反対に、人に対しては、非常に厳しくしました。イエス様が癒した女は、アブラハムの娘であり、十八年もの間サタンに縛られていた可哀そうな人でした。それなのに、安息日だからといって彼女の病気を癒してはならないのは、一体どうしたことでしょうか。むしろ、癒してあげることが正しいことではないのでしょうか。安息日に家畜の面倒を見ることよりも、もっと大切なことは、病に苦しんでいる人を助けることです。それをないがしろにする者こそが、偽善者なのです。

適用:曲がっている問題はないでしょうか

一言:あなたの病はいやされた



2020年 05月 11日 (月)

ルカの福音書13:18-21(21)
パン種のようなものです

 女が三サトンの粉にパン種を混ぜたところ、全体がふくれました。神の国は、パン種のようなものです。三サトンの粉は40リットルで、およそ100人が食べても残るほどの量です。そのために必要なパン種は、たったの一スプーンです。パン種はこのように、人の目には小さいですが、全体をふくらませる強い力を持っています。人の中に蒔かれた神の国も、目立たないくらい小さく見えるかもしれません。しかし、人の人生を完全に変えてしまう力を持っています。さらに、キャンパスと社会全体を変える力を持っています。
 腰が曲がった女に臨まれた神の国は、とても小さく見えます。しかし、その国はからし種やパン種のように大きく生長し、全世界に大きな影響を及ぼすようになります。腰の曲がった人のような一人に、神の国を植える1:1聖書勉強は、とても小さいく見えるかもしれません。しかし、これはキャンパスと社会全体を変える強い力を持っています。

適用:神の国はどれほど大きな力を持っていますか

一言:全体がふくらむ



2020年 05月 12日 (火)

ルカの福音書13:22-30(24)
努力して狭い門から入りなさい

 「狭い門から入る」とは、イエス様に従うことを意味します。自分を捨て、自分の十字架を負うことです。人はできれば広くて楽な道を歩もうとします。しかし、救いは決して簡単に手に入れられるものではありません。ユダヤ人だから自動的に救われるのではありません。努力して狭い門から入らなければなりません。なぜ、そのようにしなければならないのでしょうか。神の国に入ろうとしても入れなくなる人が多いからです。
 神の国の戸を閉められてしまってからでは、戸をいくらたたいても、開けてもらえません。主といっしょに食べたり飲んだりしたことや、主から教えてもらったと言っても役に立ちません。主はそのような人に、知らないと言われます。彼らは外に投げ出され、泣き叫んだり、歯ぎしりしたりします。半面、東からも西からも、また南からも北からも人々が来て、神の国で食卓に着きます。彼らはユダヤ人ではありませんが、努力して狭い門から入った人々です。ユダヤ人のように先頭にたったことで高慢になる人は、神の国で食卓に着くことができないこともあります。しんがりである異邦人が、あとで先頭になることもあるのです。

適用:救われることを願いますか

一言:狭い門から



2020年 05月 13日 (水)

ルカの福音書13:31-35(33)
わたしは、進んで行かなければならない

 イエス様のように使命人として生きようとするなら、ヘロデのような力ある者や社会のムードが脅してきます。そうなった時には、イエス様のように、「私は、きょうもあすも次の日も進んで行かなければならない。使命を果たすまでは死ぬことがない」と堂々と告白できるように祈ります。イエス様はご自分の身の安全よりも福音を受け入れないイスラエルの民のことを考えながら悲しまれました。イエス様の愛を拒む彼らが受けるさばきを考え、心を痛められました。

適用:主の道を歩もうとする時、障害物がありますか

一言:進んで行かなければならない


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