聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2020]

2020年 05月 14日 (木)

ルカの福音書14:1-6(5)
安息日に病気を直すことは正しいこと

 イエス様はその人を抱いていやし、帰されました。それから、彼らに言われました。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」パリサイ人も自分の息子や牛が井戸に落ちた時には、安息日であっても、すぐに引き上げてやるでしょう。ですから、彼らはイエス様の質問に黙ってしまいました。決まりや伝統よりも優先しなければならないのは、人に対する愛です。

適用:人に対する愛がありますか

一言:すぐに引き上げてやらないでしょうか



2020年 05月 15日 (金)

ルカの福音書14:7-14(14)
復活のときお返しを受けるから

 イエス様は、また、食事に人を招く時には、友人、兄弟、親戚、金持ちではなく、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招くようにと言われます。人々は、自分が与えた分だけの見返りをすぐに求めます。しかし、イエス様は、義人の復活のときに、お返しを受けられないことを恐れるようにと言われます。恐れる次元が違います。
 人々は、自分を高くしようとするからいつも競争心と妬みを持ちます。また、低くなることを恐れています。しかし、末席を選ぶ人の心には平安があります。末席を選ぶ時には、再び上座に着くことを期待しないほうが良いです。なぜなら、そのような望みを持って末席を選ぶなら、それは謙遜なふりをしているだけであって、心にも平安がないからです。根本的には、私たちは神の国の報いを期待しなければなりません。この世で高くされ、報いを受けてしまうなら、神の国で受ける報いはありません。この世で高くされて報われるよりも、神の国で高くされ、報われることの方が、はるかに良いことです。

適用:この世にいるとき、お返しを受けたいですか

一言:復活のときお返しを受ける



2020年 05月 16日 (土)

ルカの福音書14:15-24(17)
用意ができましたから

 神の国の宴会には、この世が与えてくれる幸福や楽しみはとは比べものにならない程の価値があります。にもかかわらず、人々はつかの間のこの世の幸福や楽しみに酔っています。特に金持ちやこの世で成功した人ほど、そうです。人々は霊的に無知なため、神の国の価値を知りません。神の国の価値を知り、自ら進んで神様の御前に出て行く人は少ないのです。ですから、無理にでも連れて来なければなりません。宴会に人々を招くしもべたちの労苦が、更に必要となっている時代です。霊的に無知な人々を無理にでも連れて来る信仰によって、一人でも多くの人々を神の国に招くことができるように祈ります。

適用:神の国の宴会の豊かさを知っていますか

一言:無理にでも人々を連れて来なさい



2020年 05月 17日 (日)

ルカの福音書14:25-35(26)
まず、すわって考える

 ここでの「憎む」とは、感情的に「嫌う」という意味では、ありません。家族というのは、世に存在するものの中で、最も愛しやすい存在です。ですから、何も意識せずに暮らしていると、イエス様への愛と、家族への愛が、同じくらい、下手すると、気が付かないうちに、家族をもっと愛する生活をするようになってしまいます。ですので、イエス様よりも家族をもっと大事にするならば、イエス様についていけなくなる、という優先順位の問題について話されているのです。たとえ愛する家族であっても、あるいは自分のいのちであっても、それらをイエス様より先に置いてしまうのならば、イエス様から離れてしまうのです。では、どうしたら、イエス様を一番に出来るのでしょうか。イエス様は、次のように話されました。塔を築こうとする時には、まずすわって、建築費用を計算して準備しなければ、基礎を築くだけで終わってしまい、あざ笑われます。戦いを交えようとする時には、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つか、講和を求めるか、まずすわって、考えなければなりません。「まず、すわって」(28、31)、よく考える、それが秘訣です。御言葉を通して見えてくる自分の本当の姿や、心奥深くにあるものについて、意識して考えなければなりません。そうする中で、イエス様の前で自分が捨てるべきものが何であるのかが分かってきます。捨てるべきものを捨てる信仰が湧いてきます。イエス様のために自分の十字架を負ってイエス様について行くようになります。

適用:イエス様の弟子になりたいと思いますか

一言:まず、すわって


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