聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2020]

2020年 07月 05日 (日)

ルカの福音書 17:1-10(6)
 からし種ほどの信仰

 イエス様は弟子たちが兄弟をつまずかせることもあると言われました。つまずかせるとは、自分のせいで、兄弟が罪を犯したり、信仰から離れたりしてしまうことを言います。イエス様は、「つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。」と言われました。兄弟をつまずかせることは、この世のどんなものよりも大切ないのちを死なせることだからです。イエス様は一人の小さな者をつまずかせるより、ひき臼を首に結び付けられて、海に投げ込まれるほうがましだと言われました。弟子たちが兄弟をつまずかせるのは、兄弟が罪を犯したのに、戒めないからであると言われました。そして、悔い改めたのに、赦さないからです。イエス様は兄弟が一日に自分に七回罪を犯しても、七回来て悔い改めますというなら、赦しなさいと言われました。この御言葉は、七回だけ赦しなさいということではありません。無制限の赦しを意味します。一回、二回悔い改めると言って来て、更に続けて罪を犯すような相手を私たちは赦したくありません。だからこそ、弟子たちはイエス様の御言葉に驚きました。そして、弟子たちはイエス様に信仰を増し加えてくださいと言ったのです。
 イエス様は、からし種ほどの信仰があれば、桑の木に「根元から抜かれて、海の中に植われ」と命じれば、その桑の木は言われたとおりに従うと言われました。桑の木が根元から抜かれ、海に植わることは、到底ありえません。ところが、イエス様はからし種ほどの信仰をもって、兄弟の罪に挑むなら、根本から抜かれると言われました。弟子たちは人の内面にある根の深い罪を抜くことはできません。しかし、神様はできます。神様にはできるという信仰をもって、兄弟の内面にある罪の根元が抜かれるように祈り、御言葉をもって戦わなければなりません。そのとき、罪の根元は抜かれ、兄弟が変わる奇跡を体験することができるのです。


適用:赦しは不可能だと思っていますか

一言:からし種ほどの信仰をください



2020年 07月 06日 (月)

ルカの福音書 17:11-19(17)
 九人はどこにいるのか

 イエス様はエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの境を通られました。ここはサマリアとガリラヤの境で、どの地域にも属さない中間地域でした。イエス様がある村に入ると、ツァラアトに冒された十人の人がイエス様を出迎えました。彼らは遠く離れたところに立っていました。彼らはどんな病をも直してくださると噂されていたイエス様が通られることを聞いて来たのです。ところが、彼らは汚れた病にかかっていた人たちなので、イエス様のところに近づくことができませんでした。それで、遠く離れた所に立ち、声を張り上げて、「私たちをあわれんでください」と言ったのです。
 そのとき、イエス様は彼らをご覧になり、行って自分のからだを祭司に見せなさいと言われました。彼らはイエス様の御言葉に聞き従うと、祭司のところに行く途中できよめられました。ツァラアトからきよめられた彼らは非常に喜んだはずです。ところが、そのうちの一人だけが、自分が癒されたことが分かると、大声で神様をほめたたえながら引き返してきて、イエス様の足もとにひれ伏して感謝しました。彼は、ユダヤ人たちが異邦人だと蔑視するサマリア人でした。イエス様は彼に「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。」と言われました。そしてイエス様に戻って来て感謝し、神様をあがめたサマリア人の信仰を認め、彼に救いを宣言しました。イエス様は私たちが頂いた御恵みを覚え、イエス様に戻って来て、感謝し、神様に栄光を帰すことを願っておられます。イエス様は感謝する信仰を祝福してくださいます。


適用:感謝しなかった九人ですか

一言:感謝したサマリア人になりましょう



2020年 07月 07日 (火)

ルカの福音書 17:20-37(21)
 神の国はあなたがたのただ中にあるのです

 パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかとイエス様に訪ねました。彼らはイエス様が話された神の国についての教えを聞いて、神の国を見たくなったのでしょう。イエス様は神の国が近づいたと教えられましたが、彼らの目には、ロ-マ帝国の圧政と不義な世しか見えませんでした。彼らはこのような世に、神の国がいつ来るのかを知りたがったのです。イエス様は、神の国は見える形で来るものではないと言われました。神の国は「あなたがたのただ中にあるのです。」(21)と言われました。この御言葉の意味は何でしょうか。神の国が目に見える形で来るのではなく、イエス様を神の御子キリストとして受け入れた人たちの心の中に来るものであると言われたのです。イエス様を自分の王として受け入れ、イエス様の御言葉に聞き従う人たちの心の中に、神の国は来るのです。そのような人たちが集まる共同体に神の国が来ます。日々イエス様に治められている人は、どんな苦しい状況に直面しても神の国を味わいながら生きていきます。
 イエス様は来るべき神の国を教えておられます。これから弟子たちは迫害のことで、「人の子の日」すなわち、主が悪者たちを裁かれるその日を待ち望むようになります。そのとき、人々は『見よ、あそこだ』とか、『見よ、ここだ』とか言い誘惑します。しかし、イエス様は人の子の日に、稲妻がひらめいて天の端から天の端まで光るように来られます。ですので、誘惑する者の言うことを聞く必要はありません。ノアの日とロトの日に起こった裁きの共通点は、人々が全く予想できなかった日に起きたことです。私たちはロトの妻のことを思い出すべきです。いつ起こるかわからないイエス様の再臨の日を準備しないで、この世のことに心を奪われるなら、来るべきその日の裁きを避けられません。私たちは、私たちのただ中に神の国があるのか調べて、来るべき神の国を待ち望む生活をしなければなりません。


適用:来るべき神の国のことを考えていますか

一言:私たちのただ中にあるのです


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