聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2004]

2004年 04月 04日 (日)

ヨハネノ福音書3:1-15
新しく生まれる秘密を教えられたイエス様

Ⅰ.人は、新しく生まれなければ(1-3)
イエス様はニコデモに言われました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」ニコデモは人の幸福に必要なすべての条件を備えていました。しかし、彼の内面には神の国がありませんでした。彼のたましいには光がなく、人生の喜びと幸福がありませんでした。
人は新しく生まれなければどんなに人間条件がすばらしいと言っても、神の国を見ることができません。その国の栄光と命を所有することができません。ですから人は新しく生まれなければなりません。
Ⅱ.新しく生まれる道(4-15)
ニコデモは新しく生まれなければならないという言葉を不思議に思いました。そこで、イエス様は新しく生まれる道を教えてくださいました。
第一に、水と御霊によって生まれなければなりません。人は律法的な宗教生活によって新しく生まれることはできません。御霊の御業がなければなりません。第二に、御言葉を受け入れて信じなければなりません。御言葉を知識的によく知っていたとしても、一言でも受け入れなければ、パリサイ人のようになってしまいます。第三に、十字架につけられたイエス様を仰ぎ見なければなりません。現実とこの世だけを見ているだけなら、暗闇と苦しみから解放されることはできません。目を上げ、十字架のイエス様を仰ぎ見る時、不思議な御業が起こります。

祈り:主よ!私がこの世を所有しても、ニコデモのように新しく生まれなければ真の幸福を味わうことができないことを学びました。私を新しく生まれさせてください。

一言:人は、新しく生まれなければ神の国を見ることはできません



2004年 04月 12日 (月)

ヨハネノ福音書3:16-21
神は、実に、世を愛された

Ⅰ.ひとり子をお与えになった神の愛(16)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を得るためである」。この世は神様を知っているにもかかわらず、神を神としてあがめず、感謝もしませんでした。神様を裏切り、神様に逆らいました。神様に敵対しました。この世は神様からの怒りと裁きを受けて当然でした。
しかし、神様はこの世を愛されました。では、どの程度愛されたのでしょうか。ひとり子をお与えになったほどにこの世を愛されました。ひとりしかいない、最も大事なひとり子を、十字架に引き渡されるほど私たちを愛されました。私たちを罪から救って永遠の命を与えるため、神様は私たちを愛されました。
Ⅱ.信じるもの、信じないもの(17-21)
神様の愛を受け入れる者はさばかれません。しかし、信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれています。人々が神様の愛を信じず、その愛を受け入れないことは、行いが悪くて、光よりもやみを愛したからです。悪いことをする者は、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ません。このような人々は、すでにさばかれているし、将来くださる神様のさばきと怒りを避けることは出来ません。暗闇の生活から光の方に来なければなりません。神様の愛を受け入れ、暗闇の生活から出てきて下さい。神様はそれを切に願っておられるのです。

祈り:主よ!この罪人を救うためにひとり子を送ってくださった神様の大きな愛を感謝します。私が暗闇の行いを捨てて、光の子どもになります。

一言:御子を信じる者は滅びることなく永遠のいのちを得る



2004年 04月 13日 (火)

ヨハネノ福音書3:22-36
あの方は盛んになり

Ⅰ.あの方は盛んになり(22-30)
バプテスマのヨハネの弟子達が、あるユダヤ人ときよめについて論議してから、人々がみなイエス様の所に行くという事実を知るようになりました。そこで、この事実をバプテスマのヨハネに知らせました。
これを聞いたバプテスマのヨハネは大いに喜びました。彼は、まるで花婿が花嫁を迎える時、花婿の友人が喜ぶように喜びました。彼は自分の人気がなくなる時、悲しむより、イエス様が盛んになることで大いに喜びました。彼はどんな場合でも自分の位置と使命を忘れませんでした。「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」
Ⅱ.上から来る方(31-36)
バプテスマのヨハネは続けてイエス様について証ししました。イエス様は上から来られた方で、すべてのものの上におられる方です。このイエス様は地から出たものとは根本的に違います。またイエス様は神様がお遣わしになった方で、神様の御言葉を話されます。ですから、彼の証言は正しいです。このイエス様を信じる者は永遠の命を与えられ、イエス様に聞き従わない者は、命を見ることがなく、神の怒りがその上にとどまります。

祈り:主よ!私がバプテスマのヨハネのように衰えても、イエス様が盛んになる時本当に喜ぶことのできる、主の証人になりますように祈ります。

一言:彼は盛んになり、私は衰えなければなりません。


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