聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2004]

2004年 04月 18日 (日)

ヨハネノ福音書5:1-15
起きて、床を取り上げて歩きなさい

Ⅰ.よくなりたいか(1-6)
 イエス様は彼が伏せっているのを見て、それがもう長い間のことなのを知られました。イエス様は彼に言われました。「よくなりたいか」。イエス様は彼の心によくなりたい希望と信仰を植え付けようとされました。しかし病人は口を開くや、人々に対する不平と不満をぶちまけました。彼は依存心のため、体だけでなく精神的にも霊的にもひどい病気にかかっていました。
 イエス様は彼に言われました。「起きて、床を取り上げて歩きなさい」。彼がイエス様の御言葉を聞いた時、彼は立ち上がりました。運命の床を取り上げて力強く歩き出しました。運命の床に伏せっている人々は、イエス様の御言葉を聞かなければなりません。
Ⅱ.もう罪を犯してはなりません(10-15)
三十八年もの間、病気にかかっていた人が癒された日は安息日でした。パリサイ人は彼が安息日を犯したと責め立てました。そのため、彼の心には恐れが生じたと思われます。イエス様は彼に言われました。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから」。私たちを病気にかからせるのは罪です。運命の床に伏させます。私達が癒されてからも再び罪を犯すともっと悪い事が起ります。もう罪を犯してはなりません。

祈り:主よ!主の御言葉を聞いて、運命の床から起きて歩き出す生活ができるように祈ります。

一言:起きて床を取り上げて歩きなさい



2004年 04月 19日 (月)

ヨハネノ福音書5:16-30
父が働いておられるから私も働いているのです

Ⅰ.わたしの父は今に至るまで働いておられます(16-18)
 イエス様はユダヤ人たちに言われます。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです」。神様は、人類が堕落した後も、休むことなく人類の救いの御業を成し遂げてこられました。神様は安息日にも救いの御業をなされます。イエス様も、神様が働かれたように働かれます。イエス様はご自身がすることが神様のなさることであり、神様に喜ばれることを確信していました。そこで、イエス様は人々からの迫害や妬みに少しも萎縮されたり、退かれたりしませんでした。神様の栄光のためにひるまず働かれました。
Ⅱ.聞く者は生きるのです(19-30)
 イエス様は父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。神様が死人を生かし、命をお与えになるように、イエス様もまた与えたいと思う者に命を与えます。神様はすべてのさばきをイエス様に委ねられました。
 イエス様の御声を聞く者は永遠の命を得、裁きにあうことがありません。死の勢力にさいなまれることなく、死から命に移っているのです。イエス様の御声を聞く者は生かされます。しかし、聞かない者は死の勢力から抜け出すことができません。イエス様の御言葉を聞かなければなりません。

祈り:主よ!私がどんな妬みや迫害の中でも揺れることなく、主の御業に励むことができますように助けて下さい。

一言:父が働いておられるから、私も働いているのです。



2004年 04月 20日 (火)

ヨハネノ福音書5:31-47
イエス様に対する証言

Ⅰ.わたしについて証言される証言が真実であることは…(31-40) 
イエス様が神様の御子であると証言するものは何ですか。バプテスマのヨハネの証言があります(33-35)。イエス様が行なうわざが、神様がイエス様をお遣わしになったことを証言します(36)。父なる神様が自らイエス様を証言しておられます(37)。
旧約聖書がまさにイエス様を証言しています(39)。イエス様が神様の御子であるという証言は、イエス様が自分で言われたことではありません。このように客観的に多くの証言者がいます。その証言は真実です。イエス様が神様の御子であることは、明白なことです。
Ⅱ.どうして信じることができますか(41-47)
イエス様は、この多くの証言にもかかわらずイエス様を信じることができない人々の問題点を指摘されます。
第一に、彼らには神様を愛することがありませんでした。聖書を調べますが、神様を愛さない者はイエス様を信じることができません。
第二に、彼らは神様の栄光より自分の栄誉を求めました。神様の栄光を求めない者はイエス様を信じることができません。
第三に、モーセの書、すなわち聖書を信じませんでした。モーセの書はイエス様を証ししています。それでイエス様も信じることができませんでした。

祈り:主よ!私が神様を愛し、ただ神様から来る栄光を求める時、イエス様を信じることができるのを悟りました。私がイエス様を信じることができるように助けてください。

一言:わたしについて証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。


<<(1)    前のページ(4)    5    次のページ(6)    (21)>>

聖書別日ごとの糧