聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2004]

2004年 04月 25日 (日)

ヨハネノ福音書7:1-13
イエス様の時

Ⅰ.わたしの時はまだ来ていません(1-9)
ユダヤ人の名節である仮庵の祭りが近づいた時でした。仮庵の祭りは、イスラエルの民達が、過去先祖達の荒野の生活を記念する日です。その日には、12歳以上のイスラエルの男子は祭りを守るために、エルサレムに上って行きました。イエス様の兄弟達は、まさにこの時がこの世で出世できる絶好の機会だと考え、イエス様に向かって、エルサレムに上って力あるわざを行なうように、勧めました。世の中の栄光を求める彼らは神様の御旨を悟ることができませんでした。
イエス様は、まだ時が来ていないので上って行かないと言われ、そのままとどまられました。
Ⅱ.内密に上って行かれたイエス様(10-13)
イエス様は、兄弟達が上って行った後、内密に上って行かれました。その理由は、イエス様が人々の要求よりも神様の時に従って動かれるからです。また、ユダヤ人達はイエス様を殺そうとねらっていたからです。イエス様は神様の時に従ってご自分を表わすことも、潜むこともできました。イエス様は世の栄光よりも、完全に神様の栄光を求められたので、神様の時に敏感なのです。神様の人は神様の栄光を求め、神様の御旨に従わなければなりません。

祈り:主よ!世の栄光を求める心のために世の流れに敏感で、人の視線をよく気にしていた罪人を憐れんで下さい。神様の時に敏感な者になりますように。

一言:神様の時に従って



2004年 04月 26日 (月)

ヨハネノ福音書7:14-36
正しいさばき

Ⅰ.人が神様のみこころを行なおうと願うなら(14-24)
イエス様が御言葉を教えられると、ユダヤ人達はその知恵に驚きました。その時、イエス様は、「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。」と言われました。イエス様が教えられた御言葉は、完全に神様の知恵から出ました。私達が神様のみこころを行なおうと願うなら、このことを悟ることができます。神様のみこころに従おうとしない人は、イエス様の御言葉を悟ることができません。
Ⅱ.彼の行われるしるしを通して(25-36)
人々は、イエス様がどこから来たのか、人間的な背景を知るためにキリストとして信じることができない、と言いました。彼らは神様をよく知らなかったので、イエス様が神様から来られたことも知りませんでした。しかし群衆の中の多くの人はイエス様が行われたしるしを根拠に、キリストとして信じました。
イエス様が教えられた御言葉とその行われたしるしを通して、イエス様がキリストであることをはっきりと信じることができます。

祈り:主よ!私が正しいさばきができるように、霊的な目を開いて下さい。

一言:正しいさばきをしなさい



2004年 04月 27日 (火)

ヨハネノ福音書7:37-52
生ける水の川

Ⅰ.わたしのもとに来て飲みなさい(37-39)
イエス様は、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」と招かれました。渇くとは、何か満たされずに、生きるまことの満足と喜びがない状態を指します。人々は、金品や人間的な成功や快楽を通して、自分の渇きを満たそうとします。
しかしこのようなものは求めれば求めるほどたましいの渇きが増すだけです。誰でもイエス様に出て行く時だけがたましいの渇きの問題を解決することができます。イエス様を信じる者には聖霊を生ける水の川のように与えられます。中心に聖霊を置く時、たましいのまことの満足と喜びを豊かに得ることができます。
Ⅱ.役人達の変化(40-52)
宗教指導者達が送った役人達はイエス様を捕まえようとしましたが、捕まえることができず、そのまま戻ってきました。彼らはイエス様の御言葉を聞いて、心に感動を受けたのです。誰でも純粋にイエス様の御言葉を聞けば、いのちを得、変えられる喜びを味わうようになります。パリサイ人達は欲と傲慢によってイエス様の御言葉を受け入れないことで、その中に永遠のいのちの喜びがありませんでした。彼らこそが渇いた人たちです。

祈り:主よ!私が傲慢と人間的な偏見を捨てて主に出て行きます。私に聖霊を下さり、私のたましいを満たして下さい。

一言:信じる者に聖霊が与えられる



2004年 04月 28日 (水)

ヨハネノ福音書7:53-8:11
罪に定めないイエス様

Ⅰ.罪のない者が石を投げなさい(7:53-8:9)
イエス様が宮で御言葉を教えられた時、パリサイ人と律法学者達は姦淫の場で捕らえられた一人の女を連れて来ました。彼らがこのようにしたのはモーセの律法を守り、社会悪を取り除くためではなく、イエス様をわなにかけ、告訴する口実を探すためでした。彼らは質問しました。「モーセは律法の中で、こういう女を石打にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
イエス様はしばらく沈黙した後、重く口を開きました。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(9)。この御言葉を聞いたパリサイ人達は良心の呵責を感じて、こそこそ逃げてしまいました。罪のある人間が罪人を罪に定めることはできません。この世では、神様の御前で義人は一人もいません(ロマ3:10,18)。
Ⅱ.行きなさい。決して罪を犯してはなりません(10,11)。
イエス様は、宮に一人残された女に言われました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(11)。パリサイ人達は判断とさばきで羊達に重い律法のくびきを負わせました。しかしイエス様は罪人を受け入れ、罪を赦してくださいます。そして悔い改めにふさわしい実を結ぶように新しい人生の方向を下さいます。

祈り:主よ!人を裁くことを好む罪を深く悔い改めます。私が絶えずイエス様の許しの愛を受け入れ、兄弟を許す生活をします。

一言:人を裁くな。


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