聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2004]

2004年 04月 29日 (木)

ヨハネノ福音書8:12-20
世の光イエス様

Ⅰ.わたしは世の光です(12)
12節を暗唱してみましょう。イエス様は世の光です。光の性質は、闇を退けます。光がある所に命の花が咲きます。イエス様は人々の光です(1:4)。イエス様だけが人々の心の中にある全ての闇を退け、新しい命の光を照らして下さいます。
それで誰でもイエス様を信じて聞き従う者は闇の中で迷いません。イエス様の命の光を受け、生命力のある人生を過し、目的と方向がはっきりとした人生を過すようになります。
Ⅱ.わたしの証言は真実です(13-20)
パリサイ人達は「わたしは世の光です。」という御言葉を退けました。イエス様は、彼らにご自分の証言が真実であることをどのように証しされましたか。
第一に、イエス様はご自分の起源と本質を知っておられたからです(14)。
第二に、イエス様はいつも神様とともにさばかれたので、全てのさばきは真実です(15-18)。
イエス様は、ご自分がどこから来てどこに行かれるのかを知っておられます。このイエス様だけが、闇の中でさまよっている人々にとって命の光であり、啓示の光です(19)。

祈り:主よ!闇の中で迷っていた憐れな私に命の光を照らして下さり感謝します。私がこれからは肉の情欲に従っていきず、主の御言葉に従って生きます。

一言:命の光を得よう



2004年 04月 30日 (金)

ヨハネノ福音書8:21-30
人の子を上げてしまうと、・・・

Ⅰ.もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ(21-24)
イエス様は、上から生まれた方として、世の中に属していません。しかし人間は下から生まれます。それで本質的に罪と闇が満ちた世に属した存在です。イエス様はこのような罪深い人々を救おうと天の御国の栄光の御座を捨て、しもべの姿を取って来られました。
それで誰でもイエス・キリストを信じなければ、罪の中で死ぬしかありません(24)。人間は、本質上不従順の子で、怒りの子だからです(エペ2:2,3)。
Ⅱ.人の子を上げてしまうと、・・・知るようになります(25-30)
イエス様は切なる思いで信仰を訴えましたが、ユダヤ人達は一言も受け入れませんでした(22-25)。イエス様は彼らに何と言われましたか。彼らは罪のないイエス様を十字架につけて殺してから、彼らがどれだけ惨めな罪人であるのかを悟るようになり、果してイエス様が神様の御子であり、キリストであることを信じるようになります(28)。
イエス様の十字架の前に立つ時だけが、人間は本質上怒りの子であり、キリストの救いの愛がどれだけ大きく、驚くべきものなのかを悟るようになります。

祈り:主よ!本質上、罪の中で生れ、罪の中で滅びる私のために十字架につけられた愛を感謝します。私がこの時間主の十字架を仰ぎ見ます。

一言:十字架、十字架、私が初めて見る時、



2004年 05月 01日 (土)

ヨハネノ福音書8:31-36
まことの自由を与えられるイエス様

Ⅰ.本当のわたしの弟子になりなさい(31,32)
イエス様は、ご自分を信じたユダヤ人達に、イエス様の本当に弟子になるように言われました。イエス様の弟子になるためには、イエス様の御言葉の中にとどまらなければなりません。とどまるとは、イエス様の御言葉を自分の生活の原理として受け入れ、聞き従う生活のことです。なぜ、イエス様の本当の弟子にならなければ、本当の自由を得ることができないのですか。32節をご覧ください。イエス様の御言葉に、心から聞き従う時、本当の真理を知るようになります。この真理はイエス・キリストの十字架の福音です。この福音真理を心から悟るようになる時、死と罪の力から自由になります。
Ⅱ.まことの自由を与えられるイエス様(33-36)
ユダヤ人達は、歴史的に、エジプト、バビロン、アッシリヤ、バサ、ギリシャなどの奴隷だった時があります。今も、ローマのしもべになっています。しかし彼らはアブラハムの子孫だという自尊心のために、他の人の奴隷になった現実を認めませんでした(33)。
イエス様は、彼らに罪を犯す者は誰でも罪の奴隷であり、神様の御子イエス様だけが本当の自由を与えることができる事実を悟らせました。イエス様が与える自由は罪からの自由であり、永遠の自由であり、完全な自由です。

祈り:主よ!自尊心が強く、罪の奴隷であることを認めなかった罪を悔い改めます。私が主の御言葉に聞き従い、本当の弟子になり、まことの自由を得ることができますように。

一言:本当の自由を得るためには、本当の弟子になろう



2004年 05月 02日 (日)

ヨハネノ福音書8:37-59
神様に属する者、悪魔に属する者

Ⅰ.あなたがたがアブラハムの子であるなら(37-47)
イエス様はユダヤ人達がアブラハムの子孫であることを認めました。しかし彼らはアブラハムの子孫であることを自慢するだけで、その行ないを学ぼうとはせず、むしろイエス様を退け殺そうとしました。イエス様は彼らに、「あなたがたがアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざを行ないなさい」、と言われました。彼らは肉体的にはアブラハムの子孫でしたが、行ないは悪魔のようでした。彼らは悪魔からでました。神様に属する者は、イエス様の真理の御言葉を聞いて従います。主の御言葉を聞かない者は神様に属さないからです。
Ⅱ.だれでもわたしのことばを守るなら(48-50)
イエス様は、欲と偽りで満ちたユダヤ人達を見て、悪魔の子だと咎められました。しかし彼らは悪い心の罪を悔い改めようとはしませんでした。むしろ、イエス様が狂っている、と言いました。しかしイエス様は最後まで無知なことばで接する彼らに耐えて、真理を証ししました。「だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」人は、今どんな罪の中にいても、イエス様の御言葉を信仰によって受け入れ、聞き従う時、救いを受けます。

祈り:主よ!傲慢と欲の奴隷になり、悪魔のしもべだった私を救って下さり、真理のしもべにして下さい。

一言:神から出た者は、神のことばに聞き従います。


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