聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2024]

2024年 03月 04日 (月)

ヨハネの福音書6:1-15(9)
大麦のパン五つと魚二匹

過越が間近になっていた頃、イエス様は大勢の人の群れがご自分の方に来るのを見て、ピリポを試そうと問題を出しました。「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。」この問題のポイントは、「どこから」にあります。実はイエス様は、ご自分でしようとしていることをよく知っておられました。だからピリポにこの問題を出したのは、彼の弱点を補い、その時代に仕える牧者、霊的指導者に成長するよう助けるためでした。ピリポは、一人ずつ少しずつ取っても二百デナリのパンでは足りません、と答えました。彼はイエス様に問題を持っていこうとせずに自ら解決しようとしました。その結果、二百デナリが必要になると計算しましたが、否定的な結論を下してしまいました。

 一方、アンデレは大麦のパン五つと魚二匹を持っていた一人の少年をイエス様のもとに連れてきました。彼は、「こんなに大勢の人々では、それが何になりましょうか。」と、心苦しくはなりましたが、イエス様のうちにある驚くべき可能性を信じました。そこで、イエス様は五千人もの大勢の群れを座らせ、パンを取り感謝を捧げました。イエス様はアンデレの五つのパンと二匹の魚を無視せずに、それを神様に差し出し感謝の祈りをささげ、祝福しました。そして座っている人々に分けられました。すると五千人の群衆が十分食べても余るほどとなり、残ったパン切れも十二のかごをいっぱいにしたという、驚くべき奇跡が起こりました。イエス様は、五つのパンと二匹の魚という僅かなものでも、信仰の心で差し出す者を通して大勢の群れを食べさせるために用いることの出来るお方です。



祈り:主よ、信仰によって私の5つのパンと2匹の魚を見つけてイエス様に持っていくことができるように助けてください。

一言:五つのパンと二匹の魚を主に



2024年 03月 05日 (火)

ヨハネの福音書6:16-29(27)
永遠のいのちに至る食べ物のため

夕方になって、弟子たちは舟に乗り込み、湖を渡ってカペナウムに行きました。日は既に暗くなっていましたが、イエス様はまだ彼らのところに来ておられませんでした。この時、強風が吹き、湖は荒れ始めました。弟子たちが四、五キロメートルほど漕ぎ出したころ、イエス様が湖の上を歩いて舟に近づいて来られました。弟子たちは幽霊でも見ているかのように恐れました。イエス様は、「わたしだ。恐れることはない。」と言われたので、弟子たちは喜んでイエス様を舟に迎えました。イエス様と一緒にいる時、弟子たちは風と波に打ち勝ち、カペナウムに安全に到着することができました。

 その翌日、群衆がイエス様を捜しにやって来ました。イエス様をもっと知りたいと思って来たのではなく、ただ空いたお腹を満たすためにイエス様の前に出てきました。そんな彼らに対して、イエス様は「なくなってしまう食物のためではなく、いつまでもなくならない永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」という方向を与えました。人は何のために働くのか、つまり生きるのかが、とても重要な問題です。なくなる食物のために働くなら、なくなるものを収穫するしかなく、結局は虚しくなります。永遠のいのちに至る食物のために働く時、永遠のいのちを得、真の喜びと満足を味わえます。彼らは、「私たちは、神のわざを行うために何をすべきでしょうか」と尋ねました。イエス様は神様が遣わした者、イエス様を信じることが神様のわざだと言われました。真の神様の御業は、外的な奉仕と献身ではなく、ただイエス様を信じることです。



祈り:主よ、なくなる食物に縛られて来た罪を心から悔い改めます。永遠のいのちに至る食物を下さるイエス様を信じます。

一言:永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい



2024年 03月 06日 (水)

ヨハネの福音書6:30-40(35)
わたしがいのちのパンです

イエス様が、「神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と言われると、人々は、自分たちがイエス様を信じるために、しるしとして何をしてくださるのかと聞きました。彼らは、父祖たちが荒野でマナを食べたしるしについて言及しました。すると、イエス様はモーセを通して与えられたパンではなく、父なる神様が与えるまことのパンについて話しました。そのパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものです。人々は、イエス様が言われたパンがどんなものであるのかよく理解できませんでしたが、それを求めました。すると、イエス様は、ご自分がそのいのちのパンであると言われました。イエス様に来る者は決して飢えることがなく、イエス様を信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。真の満足、喜び、力を得ます。ところが、人々はイエス様を信じようとせず、イエス様に来ません。しかし、父がイエス様にお与えになる者はみな、イエス様のところに来ます。そしてイエス様のところに来る者を、イエス様は決して外に追い出したりしません。イエス様は神様のみこころを行うために世に来られました。

神様のみこころは、イエス様に与えられたすべての者が、一人として失われることなく、終わりの日よみがえらされることです。神様のみこころは、イエス様を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。イエス様はその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。人は肉体の満足だけでは生きられません。人はいつもより多くの、もっと良いパンを得ようと努力します。しかし、真のいのちを得るためには、イエス様を食べなければなりません。イエス様を食べる時、私たちの中に永遠のいのちが与えられ、終わりの日に復活し、永遠に生きるのです。本当に重要なことは、肉体のいのちではなく、永遠のいのちです。



祈り:イエス様、私のために、いのちのパンとなって下さり感謝します。みことばであられるイエス様を、私が毎日食べ、真の満足、喜び、力に満ちた生活ができるように祈ります。

一言:神の口から出る一つ一つの言葉で生きる



2024年 03月 07日 (木)

ヨハネの福音書6:41-59(53)
イエス様の肉と血

イエス様はいのちのパンであり、天から下ってきた生けるパンです(51)。このパンを受け取るためには、何をすれば良いのでしょうか。

1.人間的な考えと偏見を捨てなければなりません。(42)

2.父なる神様に自分をゆだね、イエス様のもとに引き寄せられなければなりません。(44)

3.神様の御言葉を聞いて学ぶ謙遜な心を持たなければなりません。(45)

4.イエス様を、神様が遣わした救い主として信じることを決心しなければなりません。(47)

5.永遠のいのちを持ったという確信がなければなりません。(47)

イエス様が与えようとするパンは、世のいのちのための、イエス様の肉です。イエス様の肉はまことの食物、イエス様の血はまことの飲み物です。イエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲む者は、イエス様のうちにとどまり、イエス様もその人のうちにとどまります。イエス様を食べるというのは、イエスの血と肉を食べて血を飲むことです。 つまり、イエス様の死を自分のための贖いとして受け入れて、主と交わることです。イエス様の死を受け入れて、主と深く交わるとき、私たちは生きるのです。キリストの肉と血を、一度食べて終わりにするのではなく、毎日、食べて飲むべきです。そうする時、その人の中に豊かないのちがあります。



祈り:主よ、あなたの大きな救いの愛を受け入れます。私はありのまま御前に出ます。どうか、あなたの血で私をきよめ、私をあなたのうちにとどまらせてください。

一言:イエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲む



2024年 03月 08日 (金)

ヨハネの福音書6:60-71(68)
永遠のいのちのことばを持つ方

イエス様の肉と血に関する話を聞いた弟子たちのうちの多くの者が、イエス様の御言葉を理解することができませんでした。このことで彼らはつまずくようになりました。イエス様は、彼らがイエス様の死を理解できないでいるのを見て、ご自分が天に上るのを彼らが見た時、どうなるだろうかと言われました。「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。」重要なことは、肉体や物質ではありません。霊といのちの御言葉が重要なのです。イエス様は、ご自分を信じない者たちがいることに落胆しませんでした。神様が遣わされた人々がいるということを、信じておられたからです。イエス様は十二弟子に、「あなたがたも離れて行きたいのですか」と言われました。すると、シモン・ペテロが答えました。「主よ。私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」十二弟子は、イエス様が神の聖者であることを信じ、また知っていました。彼らはイエス様によって選ばれた者たちでした。しかし、その中にも、悪魔に属する人がいることをイエス様はご存じでした。

神様が遣わされた人たちは、イエス様の言葉を理解して受け入れます。すぐに理解できないとしても、聖霊の助けによって、結局は理解して受け入れる時がきます。主の御言葉が、永遠のいのちの御言葉であることを知っている人は、決してイエス様を離れません。どんな困難があっても主を離れません。このような人こそ、神様が遣わされた人であり、神様が選んだ人です。



祈り:主よ、あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます。ですから、私は他に誰のところにも行けません。私が生涯、あなたの弟子でいられるよう助けてください。

一言:永遠のいのちのことばを持っておられるイエス様


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