聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2024]

2024年 05月 01日 (水)

ヨハネの福音書9:1-7(3)
盲人の目を開かれたイエス様

 イエス様と弟子たちは道の途中で、生まれたときから目の見えない人を見かけました。弟子たちは、「この人が盲目で生まれたのは、誰が罪を犯したからですか。」と尋ねました。彼らは生まれつき盲目の人の状況を罪の帰結として、運命的に考えました。しかし、イエス様は答えられました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現われるためです。」イエス様は、創造主の権威と摂理を信じる信仰の目で、盲目の人をご覧になりました。不幸としか思えない状況が、イエス様によっては神様の栄光を現わす機会に用いられました。私たちも、イエス様のように、信仰の目で自分と世の中を見るとき、全てが神様の栄光を現わすために用いられることを知り、どんな状況でも希望を持つようになります。

 イエス様は、ただ御言葉で盲目の人の目を開くこともできました。しかし弟子たちが見ている前で、地面に唾をして泥を作られ、その泥を盲人の目に塗り、「行って、シロアムの池で洗いなさい。」と言われました。盲人はイエス様の御言葉に従ったので、見えるようになりました。解決できない問題に直面した時、人は環境や条件のせいにすることがあります。しかし、イエス様は、今ご自分にあるもので、驚くべきことを行なわれました。人には不可能なことでも、神様には限界がありません。心と信仰さえあれば、いくらでも神様は栄光を現わすために戦ってくださいます。



祈り:主よ、あらゆる恵みも試練も、主の栄光が現わされるために用いられることを悟ります。どんな悪条件の中でも、信仰によって試練に打ち勝ち、聖霊様の助けにより、熱心に働けるように助けてください。

一言:栄光が現されるために



2024年 05月 02日 (木)

ヨハネの福音書9:8-41(30)
私の目を開けてくださったのです

 人々は、盲目の物乞いが見えるようになったのを見て、彼のことが分かりませんでした。見えるようになった彼は、「私がその人です。」と証ししました。彼は、過去みじめな盲目の物ごいであったことを認め、イエス様によって見えるようになったことを、具体的に証ししました。 しかし、パリサイ人たちは、イエス様が安息日を破った罪人として扱いました。見えるようになった人にイエス様を罪人として証言するように、脅迫しました。しかし、彼は屈さずに、「一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」彼は一つの事実を堅くつかみ、主の恵みを裏切りませんでした。迫害に打ち勝ち、信仰が成長するようになりました。祝福の後には迫害と試練が与えられることがあります。克服し、信仰が成長する秘訣は、主から受けた一つの恵みを堅くつかむことです。

 パリサイ人たちは、盲目の物乞いが受けた恵みよりも、イエス様が安息日に人を癒したことに注目し、その事実を拒絶しました。しかし目が見えるようになった物乞いは、罪人を受け入れない神様がイエス様を通して働かれたことを悟りました。結局、彼はパリサイ人たちの憎しみを買い、世から捨てられました。しかし、イエス様は彼を見つけ出し、最後まで信仰の中心を守った彼の霊的な目も開くように助けてくださいました。一方で、イエス様とともにいたパリサイ人達は、イエス様に盲目と扱われたことに憤慨しました。イエス様は、自分の状態に満足して霊的に盲目になっていた人たちを拒絶しましたが、霊的に目が開かれた人には霊的な洞察力と理解力を与えられました。



祈り:主よ、恐れることなく頂いた恵みを証しし、どんな時でも主の証人となれるように助けてください。

一言:主から受けた一つの恵みを堅くつかもう


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