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2019年 12月 31日 (火)

ヨハネの福音書13:1‐20(1) (年末特集)
最後まで愛されたイエス様

 過越の祭りの前に、この世を去って父なる神様のみもとに行くべき時が来たことを知られたイエス様は、弟子たちと最後の食事をしていました。ところが、弟子たちのひとりイスカリオテ・ユダは、3年間も献身的に自分に仕えてくださったイエス様を裏切るという恐ろしく邪悪な考えをしていました。その他の弟子たちも、「誰が偉いか」と競い合うことに夢中になっていました。それでもイエス様は、このような弟子たちを愛し、最後の最後まで愛されました。
 このイエス様の愛は、どのように示されていますか。イエス様は夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれました。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗われました。これは、この世の中で汚れている弟子たちをイエス様がご自分の血で洗ってくださることを意味します。イエス様は、この世を去って行かれるその日まで、弟子たちの罪を担ってくださることによってご自分の変わらない愛を示されました。
 人々は、相手への期待があるときは愛していると言いますが、これ以上、相手に期待できないと思うと、別れようとします。ひどい場合は、裏切ります。イスカリオテ・ユダがそうしました。私たちも「恵みを受けた」と言っていたにもかかわらず、少しでも難しいことが生じると、不信と不満に陥ってしまいます。今年もそんな日が多かったかも知れません。このような自分を考える時、失望し、「最後まで信仰を守ることができるだろうか」と疑問に思ってしまいます。しかし、私に対するイエス様の変わらない愛、最高の愛のゆえに、今日も来年も変わらず、神様に愛されている神の子どもとして生きていくことができます。今年も、毎日この世で汚れる私たちを、イエス様は変わることなく十字架で流された御血によって洗い流してくださいました。神様の子として生きられるようにしてくださった赦しの愛と恵みに心から感謝し、賛美します。


適用:今年、どのように生きて来ましたか

一言:イエス様の汚れた罪を洗ってくださる愛で


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