聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2019]

2019年 08月 01日 (木)

使徒の働き13:1-12(2)
バルナバとサウロを聖別して

 使徒の働きでは、13章から異邦人への宣教が本格的に始まります。神様は、この御業のためにアンテオケ教会を用いられます。アンテオケは異邦人最初の教会です。バルナバとサウルが協力して教えた時、アンテオケで初めて「キリスト者」と呼ばれるようになりました(使11:26)。その後、模範的な教会として成長していきました。このような成長の背景には、優れた預言者と教師たちがいました。バルナバ、シメオン、ルキオ、マナエン、サウルなどです。神様は、このようなアンテオケ教会を、異邦人宣教のための前進基地として、アンテオケの地だけに留まらない、より大きな働きのために用いようとされました。それで、聖霊を通して「バルナバとサウルをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」(2)と言われました。この二人は、アンテオケの柱となっていた人達です。彼らによって、アンテオケ教会の基礎は築かれ、成長して来ました。到底、別の所に送ることなどできない二人でした。ところが、アンテオケ教会は、どうしたでしょうか。断食と祈りの後、ふたりの上に手を置いてから、送り出しました。「できない」と言わずに、聖霊の方向に従い、教会の柱となる人々を世界宣教のためにささげました。アンテオケ教会は、初めから、宣教する教会として用いられました。世界宣教は、神様が成し遂げられる御業です。必要な人も神様が立てられます。教会は、神様の御旨に従わなければなりません。時には、教会の中心となっているような人々を、惜しまずに捧げなければなりません。そんなことをしたら、立ち行かなくなるように思えますが、そうではありません。あれこれ計算ばかりして捧げないのなら、教会は生命力を失ってしまいます。神様は、世界宣教のために、惜しまずに捧げる教会を喜ばれます。
 サウルとバルナバは、サルミスを経て、パポスに着きました。バルイエスというユダヤ人のにせ預言者が敵対して、地方総督セルギオ・パウロを信じさせないように妨害しました。パウロが聖霊に満たされて、咎めると、彼は盲になり、しばらく日の光を見ることができなくなりました。それを見た総督は信じて、主の教えに驚嘆しました。神様は、異邦宣教に、初めから、権威を持って、共におられました。


適用:神様が聖別して立てられるなら

一言:教会の柱であっても捧げよう



2019年 08月 02日 (金)

使徒の働き13:13-41(48)
よく知っておいてください

 使徒パウロは、ピシデヤのアンテオケの会堂で、ユダヤ人たちに向かって、宣教旅行初のメッセージを伝えました。彼のメッセージは、旧約からイエス様に至るまで、まるでパノラマ絵を見せるかのように語られました。何よりも、彼のメッセージは、核心がはっきりしていました。人々が知るべきことを、はっきりと伝えました。神様は、イスラエルの民を選ばれ、エジプトの奴隷状態から救ってくださいました。荒野で養い、約束通りに、カナンの地をくださいました。時ごとに、士師(さばき人)を立てられ、民たちが王を要求すると、サウルを初代の王として立てられました。彼を退けると、今度はダビデを新しい王として立て、その子孫の中から救い主を立てる、と約束してくださいました。その方こそ、イエス様です。神様は、イエス様の前にヨハネを遣わされ、悔い改めのバプテスマを宣べ伝えさせました。ところが、指導者たちはイエス様を罪に定め、ピラトに、イエス様を十字架につけて殺すように、と強要しました。しかし、イエス様は死で終わりませんでした。神様は、イエス様を死者の中からよみがえらせました。詩篇の御言葉のとおりに、主の聖なる者として、もはや朽ちることのない方とされました。
 パウロは今、自分が伝えようとしていることの要点を次のようにまとめました。「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。」十字架で死なれ、よみがえられたイエス様を受け入れるなら、罪の赦しを受けるようになります。誰でも、イエス様を信じる者は、義と認められるようになります。これは、聖書の中心をなす主題であり、福音の中核をなす部分です。パウロは、ユダヤ人たちが必ず知っておくべきことだ、と言いました。メッセージは、核心がはっきりしていなければなりません。いくら多くのことを話しても、核心のないメッセージは意味がありません。パウロは核心をつく、優れた宣教師でした。彼がこのような宣教師になれたのは、聖書に精通していたからです。イエス様を通して罪の赦しを受ける真理は、今日、全ての人々が必ず知らなければならないことです。私たちもパウロのように、この真理を、人々に伝えなければなりません。多くのことを話さなくても、はっきりと、核心部分を伝えなければなりません。


適用:福音の核心を伝えますか

一言:十字架と罪の赦し



2019年 08月 03日 (土)

使徒の働き13:42-52(48)
定められていた人たちは、みな

 ピシデヤのアンテオケで、大きな御言葉の御業が起こりました。安息日に、ほとんど町中の人が、神様の御言葉を聞こうと集まって来ました。ところが、聖霊の御業がある所には、迫害の動きも伴います。ユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしりました。福音を伝えて迫害にぶつかると、委縮してしまいがちです。しかし、パウロとバルナバは全くそうではありませんでした。むしろ大胆に、「あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これから異邦人のほうへ向かいます。」と言いました。ユダヤ人中心から、異邦人宣教へと方向を変えました。反対していたユダヤ人たちとは違い、異邦人たちは福音を聞いて、喜びました。神様の御言葉を賛美しました。永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入りました。主の御言葉は、この地方全体に広まりました。すると、再び、ユダヤ人の迫害がありました。ユダヤ人たちは、神様を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から追い出しました。御言葉の御業とともに、迫害も次第に激しさを増して行きました。パウロとバルナバは、さばきの警告として、足のちりを払い落しました。これは、イエス様が、福音を拒む人々に対して教えられた取るべき姿勢です(マタ10:14)。彼らはイコニオムに移って、再び、福音を伝えました。妨害と迫害は弟子たちを止めることができませんでした。
 福音を伝えた時、必ず拒む人々がいます。彼らは、神様の御言葉に対して敵対します。そんな時、私たちは彼らとぶつかる必要がありません。委縮する必要もありません。彼らから離れ、別の人々に福音を伝えればよいのです。神様が、永遠のいのちをお与えになるために定められていた人々がいます。彼らは福音を喜びます。福音を伝える時、彼らはみな信仰に入ります。今日、私たちが福音を伝える時、拒む人々が多くいます。しかし、神様が永遠のいのちを与えるために、定められていた人々がいます。拒む人々にとらわれることなく、続けて福音を伝える時、定められていた人たちはみな、信仰に入ります。救いの御業は神様が成し遂げられます。私たちがすべきことは、拒否と妨害にぶつかっても、放棄せずに福音を伝えることです。


適用:拒む人々のゆえに委縮しますか

一言:定められていた人たちがいます


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