聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2007]

2007年 06月 03日 (日)

ローマ1:1-7
御名のために


Ⅰ.福音のために(1-4)

 パウロは、自分をイエス・キリストのしもべとして紹介しました。彼は、過去律法の奴隷であり、罪の奴隷でした。しかし今はイエス・キリストのしもべとなりました。イエス様から受けた愛の負債があまりにも大きいために、自ら進んでその方のしもべとなりました。しもべとは絶対服従する者であり、忠実な者です。また彼はイエス様の全権大使として召されました。福音を弁明して拡張するために選ばれました。

 福音は神様から始まったもので、ご自分の御子に関して預言者たちを通して聖書ですでに約束されたものです。その御子は肉においてはダビデの子孫として生まれ、霊的には、死者の中からの復活により、神様の御子として示されました。このイエス様は私たちの主であり、キリストです。

Ⅱ.御名のために(5-7)

 私たちは、このイエス様を通して、救いの恵みを受けました。救いの恵みを受けた人々は人生の目的と方向が変わります。これ以上、自分のためには生きず、イエス様の御名のために生きるようになります。またあらゆる国の人々が信じて、従順させる使徒の務めを担うようになります。私たちの務めは私たちを救われたキリストがくださった聖なる務めです。それで聖なる神様の御前で担わなければなりません。

 パウロはローマの聖徒たちに恵みと平安があることを祈りました。


祈り:主よ!私はイエス・キリストのしもべです。これから福音のために、あらゆる国の人々が信じて従順するようにさせます。

一言:信仰の従順をもたらすのです



2007年 06月 04日 (月)

ローマ1:8-17
救いを得させる神の力


Ⅰ.負債を負っている者の心情を持ったパウロ(8-15)

 ローマの教会はパウロが開拓した教会ではありません。しかしパウロは休まずにローマにいる聖徒たちのために祈り、彼らのところに行く良い道を得ることを願いました。それは彼らに御霊の賜物を分け与え、彼らの信仰を強くし、実を結ばせるためでした。

 パウロが何としてでも彼らに福音を伝えることを願ったのは、世の人々に対して負債を負った者の心情を持っていたからです(14,15)。彼はイエス様から負った恵みの負債を返済するために、闘争しました。負債を負った者の心情こそ、パウロのように絶えず開拓の御業に仕えることができる原動力に、なるのです。

Ⅱ.福音を恥とは思わないパウロ(16,17)

 当時ユダヤ人は宗教的な優越性を誇り、ギリシャ人は文化を誇り、ローマ人は力を誇りました。このような雰囲気の中で十字架の福音はとるに足らないものであり、愚かなもののように思えました。しかしパウロは少しも福音を恥とは思いませんでした。

 福音は信じるすべての人にとって、救いを得させる神様の力だからです。福音は、いくら罪を犯した人であっても新しい人に変え、罪と死とサタンの力から救ってくれる神様の力です。福音には神様の義が啓示されているからです。


祈り:主よ!私に、負債を負った者の心情が足りなかったことを、悔い改めます。私は福音の力をかたく信じ、大胆に福音を宣べ伝えます。

一言:義人は信仰によって生きる



2007年 06月 05日 (火)

ローマ1:18-23
罪の根と性質


Ⅰ.罪の根(18-21)

 人々は、不敬虔(信仰的な罪)と不正(道徳的な罪)によって真理をはばんでいます。彼らには神様の怒りが天から啓示されています。神様は人々に、神様を知ることができる生まれながらにして持つ知識(生得的)と、自然啓示をくださいました(19,20)。私たちが神様を知ろうと思えば、いくらでも知ることができます。それにも関わらず、神様を信じないのは故意的な罪だと言わざるを得ません。

 また人々は神様を知っていながら、神としてあがめず、感謝もしませんでした。神様につぶやき、不平をもらしました。これは神様の主権に対する挑戦です。傲慢は全ての罪の根です。

Ⅱ.罪の性質(21b-23)

 人は神様を神様としてあがめず、感謝をしなければ、まずその思いはむなしくなります。思いが病むと、心も病み、愚かな者になります。心は暗く運命主義になります。結局、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神様の御栄を、滅ぶべき人間や鳥、獣、はうもののかたちに似た物に代えて仕える偶像崇拝者になります。神様なしに生きる者は知者のふりをしますが、実は最も愚かな者です。


祈り:主よ!私がどんな現状の中でも、神様を崇め、感謝する者になるように助け手ください。

一言:罪をさばかれる神様



2007年 06月 06日 (水)

ローマ1:24-32
神様に捨てられた人々


Ⅰ.心の欲望のまま生きるようになる(24,25)

 神様は、お怒りになり、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました(24)。それで心の欲望のままに、互いに汚しあい、神様の真理を偽りと取り代え、被造物を創造主よりも、高くし、それに仕える偶像崇拝者となります。

Ⅱ.恥ずべき欲望どおりに生きるようになる(26,27)

 神様は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。人々は自然な用を捨て、女は女と、男が男と恥ずべきことを行なう同性愛を楽しみ、変態の性生活をするようになりました。このような者は獣よりも劣る人々です。このような人は性病やエイズに感染し、その誤りに対する当然の報いを自分の身に受けています(27)。

Ⅲ.してはならないことをするようになりました(28-32)

 神様は彼らを良くない思いに引き渡されました。良くない思いは堕落した本性を指します。神様に捨てられた人々は、結局堕落した本性の通りに、さまざまな罪を犯すようになります。世の中は多くの残忍な罪と醜い行ないによって、悪の巣窟になってしまいました。無秩序と混沌と罪の悪循環だけが繰り返されるだけです。


祈り:神様に捨てられた人生がどれだけ惨めであるのかを悟らせてくださり感謝します。私は主を心の中心にお迎えします。私の心を治めてください。

一言:神様を離れては自由がない


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