聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2015]

2015年 02月 21日 (土)

ローマ1:1-7
神様に選び分けられ

 ローマ人への手紙を始めながらパウロは、自分をキリストのしもべだ、と紹介しています。神の福音のために選び分けられた、と言っています。神の福音は、神様が人類を救うために、昔から約束された救いの知らせを指しています。それは、すなわち、イエス・キリストを指しています。イエス様は、ダビデの子孫として、お生まれになりました。死者の中からよみがえられて、神様の御子として認められました。人間にとって、最も不幸な知らせとは、罪のために死に、さばきに至ったと言うことです。このような人間にとって、罪の赦しを受け、永遠のいのちに至るようになった、という知らせは、どれだけ尊く、喜びの知らせなのでしょうか。まさに、この尊い知らせを伝えるために、神様はパウロを選び、私たち一人一人を選び分けてくださいました。これは、神様の一方的な恵みであり、また、祝福でもあります。
 パウロは、自分を選び分けてくださった神様の恵みと、使徒の務めを担うために、励みました。その御名のために、あらゆる国の人々に、福音を伝えようと、忠実でありました。単に、福音を信じさせるためだけにとどまらず、聞き従う者となるまで育てることに、
全力を注ぎました。パウロは、ローマにいる聖徒たちもまた、「選び分けられた」という思いを持つように、教えました。彼らが、イエス・キリストの忠実なしもべになることを、望みました。主が私たちを選び分けられた理由は、ただ、恵みを受けさせるだけではありません。キリストの御名を伝える使徒の務めを果たすように、するためです。使徒としての務めと使命が、その人の人生を、偉大なものとします。

祈り:主よ!足りない私を選び分けてくださり、感謝します。私が、キリスト・イエスの忠実なしもべになるように、してください。

一言:選び分けられた恵みと使命



2015年 02月 22日 (日)

ローマ1:8-17
福音の力

 パウロは、キリストの福音を伝えるために、休まずに祈り続けました。できる限り、ローマの聖徒たちを助けるために、ローマに出て行こうと、労苦しました。ローマに行く道は閉ざされましたが、放棄せずに、続けてチャレンジしました。パウロが、このように、福音を伝えることに力を入れる理由は、第一に、負債を負った者の心情があったからです。パウロは、イエス様に、恵みの負債を負った、と考えていました。そして、「その負債は、全ての人々に福音を伝えることによってのみ、返済できる」と考えていました。負債を負った者の心情は、パウロを静かに、安逸をむさぼるようなことをさせませんでした。私たちが、主から受けた恵みを考える時、その恵みを無駄にすることはできません。負債を負った者の心情は、私たちを、いつも謙遜にし、感謝で満ちあふれさせます。更に進んで、私たちを、情熱を持った者と、変えて行きます。
 パウロが情熱的に福音を伝えた、もう一つの理由は、福音の力を信じていたからです。パウロは、「福音は、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力」という事実を、自ら体験しました。福音には、神様の義が啓示されていて、その福音を信じる時にだけ、救いに至り、義と認められます。彼は、「義人は信仰によってのみ生きる」という結論に、到達するようになりました。従って、彼は、誰が何と言っても、福音を恥とは思いませんでした。むしろ、大胆に福音を伝える者になりました。私たちが福音に対する確信がある時、人々の視線を気にせずに、大胆に福音を伝えることができます。

祈り:主よ!私が福音の力を確信し、負債を負った者の姿勢で、福音を熱心に伝えるように、助けてください。

一言:福音は、私の誇り



2015年 02月 23日 (月)

ローマ1:18-32
神を知ろうとしない

 パウロは福音の力を証ししましたが、世の人々の多くは、不義をもって真理をはばもうとしています。彼らは不敬虔な生活をし、不正を行ないます。そのような人々に神様の怒りが天から啓示されています。ところが、不義を行なう人々は、「神様を知らない」と弁解します。神様を知らないのだから、罪を犯しても仕方ないと思います。果たしてそうでしょうか。使徒パウロは、神様を知らない人々であっても、神様を知る機会が与えられている、と言っています。神様は目に見えない方ですが、神様の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのです。それで、「神様を知らなかった」と弁解することはできません(20)。彼らの根本的な問題は、神様を知っていながら、その神様を神様としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いは虚しくなり、その無知な心は暗くなったことです。その結果、永遠で不滅な神様の御栄えを、滅びるべき人間や、地上のさまざまな生物のかたちに似た物に代えてしまいました。神様から離れた人間は、また、性的にも堕落するようになりました。女は女同士で恥ずべきことを行ない、男と男が恥ずべきことを行なうようになっても、神様は彼らが滅びるまで、放置されてしまわれたのです。これは本当に恐ろしいさばきです。罪を犯しても、良心の呵責を感じることができず、神様に立ち返る機会すら失ってしまったからです。「彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。」(28)。罪によって、神様との関係が崩れ、隣人との関係も崩れてしまいます。それが罪である、それによってさばかえると、承知しながらも、歯止めが利かなくなってしまい、結局は、滅んでしまいます。

祈り:主よ!私たちが聖書を通して、神様を学び、積極的に神様に感謝し、賛美することができるように、助けてください。

一言:神様を知ろう


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