聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2006]

2006年 09月 05日 (火)

Ⅰコリント2:1-5
十字架の福音だけを証しするパウロ


Ⅰ.十字架につけられたイエス様を証しする(1,2)

 使徒パウロは哲学者として知恵と奇知に満ちた美しいことばを多く知っていました。しかし彼は福音を伝える時、そのようなものに頼ったり、使ったりしませんでした。彼はただ単純に福音だけを伝えました。彼は奥深い哲学や高尚な思想を論じませんでした。ギリシヤ人が愚かに思っても、福音だけを伝えました。パウロは、十字架につけられたイエス・キリストの福音だけが罪人を救い、変える神様の力になることを確信していました。それでパウロはイエス・キリストと、十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心しました。主のしもべたちは言葉を巧みに駆使することより、福音の力に頼らなければなりません。

Ⅱ.御霊と御力の現われ(3-5)

 コリントに初めて来た時、パウロはコリント人たちの道徳的な堕落に唖然とし、コリントを押さえつけている強い人本主義と快楽主義、そして相対主義の勢力の前に、どうしたらよいのか分かりませんでした。彼は弱かったのです。そのような中で、彼は自分のことばの力ではなく、御霊と御力の現われを願いました(4)。これは聖徒たちの信仰が人の知恵にあるのではなく、神様の力にあることを願っていたためです。パウロが御霊と御力に頼り、御言葉を宣べ伝えた時、コリントの聖徒たちの信仰が神様の力の上に立てられるようになりました。


祈り:主よ!私が自分の言葉と知恵に頼らずに、ただ御霊と御力に頼り十字架の福音だけを証しするように助けてください。

一言:ただ十字架の福音



2006年 09月 06日 (水)

Ⅰコリント2:6-16
神様の知恵


Ⅰ.神様の隠された奥義(6-10)

 神様の隠された奥義は世を愛する人々は理解できない知恵です。神様の奥義は神様を愛する者のためのものです。長い間隠されて来た奥義は、神様が世を愛され、全ての人々の罪のために、ご自分のひとり子をお遣わしになったことです。もしこの世の支配者たちがこれを知っていたなら、彼らはイエス様を十字架につけはしなかったでしょう。神様は、ご自分の愛と赦しを受け入れる者たちに御霊をくださいます。またそのような人を愛されます。私たちは何より神様の奥義を知らなければなりません。

Ⅱ.御霊を受けている人(11-16)

 神様は御霊を通して、ご自分の知恵を私たちに現されます。世の知恵では神様の御業を理解することはできません。神様の御霊が臨む時、神様の御心とその愛と福音を知るようになります。生まれながらの人間は御霊に属することを受け入れません。彼らは御霊に属することを、まったく理解することができないからです。むしろ愚かなことだと考えます。しかし神様は信じる者たちにはキリストの心をくださいました。それで信じる者たちはキリストの心で霊的な世界とその中にある真理を理解し、受け入れることができます。キリストはまたすべての判断の基準になります。これによって信じる者は世を判断する力を持つようになりました。しかし霊的な世界に対して何も知らない人々は信じる者を判断することはできません。


祈り:主よ!私たちが長い間秘密であった神様の愛とキリストの福音を知って、霊的な人になることを願います。

一言:神様の知恵は秘密である


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