聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2006]

2006年 09月 09日 (土)

Ⅰコリント4:1-5
管理者の姿勢


Ⅰ.神様の奥義(1)

 キリストのしもべは神様の奥義の管理者です。神様の奥義は、神様がご自分の御子を世にお遣わしになり、全ての人のために死に渡され、彼を再びよみがえらせたことです。すなわちイエス・キリストの福音です。パウロはこの福音を任され、よみがえられたキリストから「福音を世界に宣べ伝えよ。」と頼まれました。イエス様を受け入れ、罪の赦しといのちを賜物として受けた私たちは、みな神様の奥義を受けたキリストのしもべです。

Ⅱ.忠実であることの奥義(2-5)

 神様の奥義、すなわちイエス・キリストの福音の奥義を管理する者が持たなければならない最も大切な資質は忠実です。「忠実である」ことは変わりないという意味です。すなわち自分に与えられた職分を捨てずに、最後まで担うことです。福音の働き人が御業を担おうとすると、大変なことも多く、それで職分を放棄したり、休みたいという誘惑を受けたりもします。ひいては、世に入り込んで生きたいという誘惑も受けます。しかし福音の働き人は変わりがあってはいけません。どんなことがあっても、職分を守らなければなりません。何より心の忠実さが必要です。最後のさばきの日に、すべてのことを現し、心に隠されている事も明るみに出される主の前に、立てる人にならなければなりません。すべてのさばきを神様にゆだね、真実に生きる人は神様の称賛を受けるのです(5)。


祈り:主よ!私が二心を持っていたことを悔い改めます。イエス様のように最後まで変わらず忠実であります。助けてください。

一言:管理者には忠実であることが要求されます。



2006年 09月 10日 (日)

Ⅰコリント4:6-13
あらゆるもののかすになったパウロ


Ⅰ.王さまのようになってしまったコリント教会員(6-8)

 コリント教会の聖徒たちは貧しかった時のことを忘れ高慢になっていました。彼らは謙遜と涙で自分たちを養育してくれた主のしもべたちを非難し、王さまのようになっていました。パウロはこのような高慢な彼らに向かって言いました。「いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」(7)。私たちが受けた救いと恵みと能力と特権と才能は全て神様の恵みによるものです。また主のしもべたちの祈りと産みの苦しみによるものです。このことを知ると、私たちは決して高慢になることはできません。全てのものをまるで自分の力で得たかのように思う人は、さらに神様を悲しませることです。

Ⅱ.あらゆるもののかすになったパウロ(9-13)

 使徒パウロはキリストのために愚かな者になりました。これは、彼がキリストのために自分を低め、犠牲にし、十字架の道を堅くつかんで生きたことを、意味します。彼は人々の見せ物になり、飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありませんでした。しかしパウロは兄弟たちの益のために、その全ての苦しみに耐え忍びました。結局パウロはあらゆるもののかすになりました。このようなパウロの労苦と苦しみを通して、主を知るようになったにも関わらず、コリントの聖徒たちはパウロをさばき、非難し、蔑視し、苦しめました。しかしパウロは全てのことを耐え忍びました。むしろ祝福し、慰めのことばをかけました。


祈り:主よ!私が限りなく傲慢で、主を悲しませていた罪を悔い改めます。私が謙遜に十字架の狭い道を歩むように助けてください。

一言:キリストのために愚かな者になった



2006年 09月 11日 (月)

Ⅰコリント4:14-17
霊的な父パウロ


 パウロは、キリスト・イエスの福音によってコリントの聖徒たちを産んだ霊的な父親でした。養育係と父親はどんな点で違うのでしょうか。養育係は弟子に知識や教訓や真理を教えます。ある程度助け、正しい道を教えながらも、最後まで責任を負うわけではありません。

 しかし父は違います。父は子どもと切り離せない存在です。父は子どもが成功することを願い、子どもの将来と人生に深い関心を持って、最後まで見守り責任を負います。時にはさとし、訓練もし、むちで打ったりもしますが、子どもが成功するためにはどんな犠牲も代価も惜しみなく払います。これが霊的な父パウロの心でした。

 コリント教会の中には養育係と称する者たちが多くいました。彼らはキリストの中で教えることを好みましたが、聖徒たちの霊的な問題に対しては深い関心がありませんでした。聖徒たちが霊的な豊かさと怠慢と自慢と快楽で心が腐敗し、病んで行っても、このような問題に関心がありませんでした。

 今日キャンパスには多くの養育係がいますが、彼らのたましいの問題に関心を持って助ける霊的な父がいないので、多くのたましいがさまよっています。兄弟たちに必要な人は一万の養育係ではなく、一人の霊的な父親です。パウロは聖書の知識を教える一万の養育係ではなく、兄弟たちのたましいに最後まで責任を持とうとする霊的な父親でした。


祈り:主よ!私もキリストの中で一万の養育係ではなく、パウロのような霊的な父親になるように助けてください。

一言:霊的な父親になろう


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