2006年 09月 18日 (月)
偶像にささげた肉に対する信者の態度
Ⅰ.世の偶像の神は実際にはないものです(1-6)
当時、コリント教会には、「信者が偶像にささげた肉を食べることができるのか、食べてはならないのか。」という論争がありました。ところが私たちがまず知らなければならないことは、偶像は実際にはないものだということです。天と地に神々と呼ばれるものが多くありますが、本当の神は唯一の神以外には存在しません。それで偶像は実際にはないものであり、また偶像にささげられた肉も何でもないことです。それで他の食物を食べるように自由に食べることができます。
Ⅱ.この権利がつまずきとならないように、注意しなければなりません(7-13)
偶像は何でもないことを知っている人は偶像にささげられた肉を自由に食べることができますが、それを気にする人がいます。彼らは、信仰のある人々が偶像の宮に座り、肉を食べる姿を見て、自分たちも勇気を得て偶像にささげた肉を食べます。そしてすぐに自分が偶像にささげられた肉を食べたと良心の呵責を感じ、罪意識によって苦しみます。さらに信仰が弱くなります。結局つまづいて滅んでしまいます。それで偶像に対する知識がある者の権利が、弱い者につまづきにならないように注意しなければなりません(9)。パウロは、「食物のことで弱い兄弟をつまずかせるなら、今後いっさい肉を食べない。」と宣言しました。大切なのは、食物やそれに対する理論ではなく、兄弟の霊的ないのちです。
祈り:主よ!私の権利によって幼い兄弟をつまづかせた罪を悔い改めます。この権利が、つまづきとならないように注意するように助けてください。
一言:この権利が、つまづきとならないように
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