2006年 09月 21日 (木)
歴史の教訓
Ⅰ.歴史の教訓を鏡としなさい(1-11)
神様がイスラエルの民に施された恵みは、本当に大きく、驚くべきものです。神様は、奴隷生活をしていたイスラエルを、エジプトから救い出してくださいました。また葦の海(紅海)を渡らせ、火と雲の柱で荒野の道を導いてくださいました。神様はマナを降らせイスラエルを食べさせ、岩から水を出させ飲ませられました。しかしイスラエルはこの恵みを忘れ、偶像を崇拝する罪を犯しました。それだけではなく、姦淫をし、神様を試み、つぶやきました。そのことによって、イスラエルは結局滅ぼされてしまいました。イスラエルの滅亡は歴史の鏡となり、また末世を生きる信者たちに警告となります。信者たちはイスラエルの失敗を鏡とし、いつも救いの恵みを覚え、感謝する生活をしなければなりません。
Ⅱ.ですから、倒れないように気をつけなさい(12,13)
コリントの聖徒たちは、イスラエルの滅亡を通して、歴史の教訓を学ばなければなりません。また自分たちが立っていると思わずに、いつも倒れないように気をつけなければなりません(12)。人はいつ試練に会って倒れるのか分からないものなので、ただ試練に会わないように神様を信じ、頼らなければなりません。神様は真実な方ですから、耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなく、また試練の時に、脱出の道も備えてくださり、耐えることができるようにしてくださいます。真実な神様に頼ることが、試練に会わない秘訣です。
祈り:主よ!私が歴史の教訓を通して警告を受け、いつも倒れないように気をつけ、真実な神様に頼るように祈ります。
一言:立っていると思わずに、
2006年 09月 22日 (金)
ただ神の栄光を現わすためにしなさい
Ⅰ.偶像崇拝を避けなさい(14-22)
聖徒たちが聖餐式の時、祝福のさかずきを飲むことはキリストの血にあずかることであり、またパンを裂いて食べることはキリストのからだにあずかることです(16)。これは旧約時代の時、イスラエルの民が供え物を食べることで、祭壇にあずかるのと同じことです。しかしコリントの信者たちの中には聖餐式に参加しながらも、偶像を崇拝し、偶像の供え物を食べる者がいました。彼らは主の食卓と悪霊の食卓を同時にあずかるものであり、主の杯と悪霊の杯を同時に飲む者であり、神様に礼拝しながらも、悪霊と交わる者でした。このような人々に対して主はお怒りになります(22)。
Ⅱ.食べるにも、飲むにも、神様の栄光のために(23-33)
すべてのことが許されているからといって、すべてのことが有益であるのではなく、すべてのことがしてもよいからといって、すべてのことが徳を高めるわけではありません。信者たちの生活には一つの原則があります。それは、誰でも自分の利益を求めないで、他人の利益を心がける、ということです(24)。
信者たちはどんな肉(食物)であっても、みな食べることはできますが、ほかの人の良心と信仰のためには食べないようにすることもしなければなりません。信者たちは食べるにも、飲むにも、何をするにも、神様の栄光を現わすためにしなければなりません(31)。またどんなことでも、みなの人を喜ばせているパウロのように、多くの人の利益を求め、彼らに救いを得させなければなりません(33)。
祈り:主よ!私が食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神様の栄光を現す者になるように、祈ります。
一言:食べるにも、飲むにも、神様の栄光のために
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