聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2010]

2010年 08月 29日 (日)

Ⅰコリント1:1-9
いつも神様に感謝

 コリント人への手紙第一は、使徒パウロが第三次伝道旅行の中で、コリント教会内の分裂の知らせを聞いて書いた手紙です。コリント社会の影響を多く受けたコリント教会は、さまざまな深刻な問題を抱えていました。しかしパウロは信仰の目で、彼らを仰ぎ見て、感謝します。彼は、教会が神様の主権の下にあること、を信じていました。
 教会は、キリスト・イエスによって聖なるものとされ、聖徒と呼ばれる人々と、イエス・キリストの御名を呼ぶ人々です。パウロは彼らに、父なる神様とイエス・キリストによって、恵みと平安があることを、祈ります。パウロは、コリント教会を考えながら、いつも神様に感謝しました。第一に、キリスト・イエスの中で、神様がコリント教会の聖徒たちに与えられた恵みのために、感謝しました。彼らはキリストの中で、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、豊かな者とされました。これは、パウロが伝えたキリストの福音が、彼らの中で堅く保たれているからです。その結果、彼らはすべての賜物において、足りないものがなく、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいました。第二に、真実な神様のゆえに、感謝しました。彼らは多くの恵みを受けましたが、変わらず問題を抱えていました。しかしそれは、神様が彼らをキリストの再臨の日に、責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださることを信じました。彼らを召されたキリストとの交わりに入らせてくださった神様は真実なお方だからです。私たちが弱い存在であっても、真実な神様を仰ぎ見るなら、全ての心配と恐れが消え去り、感謝が満ち溢れるようになります。

祈り:主よ!真実な神様が弱い私たちを、主が来られるその日まで、堅く保ってくださることを信じます。

一言:真実な神様に感謝



2010年 08月 30日 (月)

Ⅰコリント1:10-17
みなが一致して

 コリント教会内に分裂がありました。これは、ペテロとパウロとアポロに追従する人々が派閥を作ったからです。このような派閥は、使徒たちが作ったのではなく、それぞれの使徒を尊敬していた聖徒たちの間で生じたものでした。それぞれの使徒たちを尊敬していた聖徒たちは、自分たちがそれぞれの使徒に属している、と言いました。彼らの問題は、使徒たちをあまりにも尊敬していたあまり、まるでキリストであるかのような存在として認識していたことです。そうしていくうちに、聖徒たちの間に分裂が起こりました。パウロは教えました。「どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。」彼らはみな、キリストに属しています。それで、同じ心、同じ判断を完全に保っていなければなりません。私たちも、尊敬する人を中心とした派閥を作ることより、キリストを中心として一つにならなければなりません。
 パウロが静かに見ていると、水のバプテスマが分裂の直接的な原因になっていました。ある人はペテロからバプテスマを受けたことを誇り、ある人はアポロから、ある人はパウロからバプテスマを受けたことを誇りました。彼らはバプテスマ自体の意味よりも、バプテスマを授けた人を重視しました。しかしバプテスマを授けた人が重要ではなく、その人がバプテスマを授けながら、伝えられた福音が大切なのです。キリストがパウロをコリントに遣わしたのは、バプテスマを授けるようにされたからではなく、ただ福音を伝えさせるためでした。コリントの聖徒たちが十字架の福音を固くつかむなら、分裂の要素が取り除かれます。十字架の福音だけが、私たちを一つにします。

祈り:主よ!主が十字架で死なれることで、すべての敵を消滅させたことを感謝します。私たちを一つにしてください。

一言:十字架の下で一つ



2010年 08月 31日 (火)

Ⅰコリント1:18-25
神の力と知恵

 パウロは神様の知恵と人の知恵を比較して話しました。人が、いくら知恵があるといっても、神様の愚かさには劣ります。それで私たちは、自分の知恵を主張することより、謙遜に神様の知恵を受け入れなければなりません。人の知恵を主張する人々にとって、十字架の道は愚かで弱いもののように見えます。彼らにとって、キリストの十字架の死は、あるユダヤ人の青年の無力な死に、過ぎません。しかしイエス様を通しての、神様の赦しと救いを受け入れる人々には、十字架の福音は神様の力です。神様は、イエス様の十字架を通して、どんな罪人であっても救ってくださる力を、現されます。
 世の人々は、自分の知恵でして神様を知りません。それで神様は、宣教という、人々にとっては愚かに見える方法で、信じる者たちを救おうとされました。これが神様の知恵です。しかし奇跡だけを求める人々には、十字架につけられたキリストを伝えることがつまずきになります。自分の理性と判断に頼る人々は十字架につけられたイエス様を伝えることを、愚かだと考えます。しかしただ召された人々には、キリストは神様の力であり、神様の知恵です。神様は、私たちが神様を知るために、イエス様を遣わされました。イエス様の死と復活を通して、福音を完成させました。そしてこの福音を宣教の方法で、世に知らされました。今、十字架の福音を信じる者は、誰であっても救いを受けます。

祈り:主よ!私の霊的な目を開き、キリストが神様の知恵であり、力であることを悟るように、助けてください。

一言:キリストは神様の力


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