聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2013]

2013年 02月 10日 (日)

Ⅰコリント7:1-9
結婚についての教え

Ⅰ.結婚しなさい(1-5)
 結婚は、神様がお造りになったものなので、聖なるものです。夫婦間の性生活も、神様がくださった祝福として、聖なるものです(創1:27,28)。それで、性的な欲望を極端に罪悪視し、結婚を醜いものとして考えてはいけません。
 だからと言って、極端に性的な欲望に陥ってはいけません。祈る生活のために、合意の上で、しばらく離れることも必要です。しかし祈りを終えた後には、再び一緒になって、サタンの誘惑にかからないようにしなければなりません。一言で、結婚は享楽ではなく、神様の子どもたちの、神聖な義務です。
Ⅱ.結婚してはいけません(6-9)
 しかしパウロは、自分のように特別な賜物を受けた人は、「一人で過ごすことを願う」と言いました。また、結婚していない男とやもめの女は、独身でいるのが良い、と言っています。
 しかし情欲が火のように燃え上がりながらも、独身で過ごし、敬虔のふりをするのは自分をあざむくことです(9)。この頃は、肉の快楽のために、独身のまま過ごす人もいます。

祈り:主よ!聖なる信仰の家庭を多く立ててくださり、主と福音の御業のために、結婚の夢をささげることができるしもべたちを、遣わしてください。

一言:それぞれ神様から受けた賜物のまま



2013年 02月 11日 (月)

Ⅰコリント7:10-24
召された時の状態にとどまっていなさい

Ⅰ.離婚してはいけない(10-16)
 結婚した人々は、絶対に離婚してはいけません。妻は夫と別れてはならず、夫は妻と別れてはなりません。結婚は、神様が結び合わされたものなので、人が引き離すことはできません(マコ10:8,9)。
 また、妻や夫が信じないからといって、見捨ててはいけません。だからと言って、好き勝手に生活しても良いというわけではありません。このような場合には、まず自分(信じている者)の信仰を守らなければなりません(15)。そして信じない相手が信仰を持ち、そのたましいが救われるように、最後まで力を入れなければなりません(16)。
Ⅱ.召された時の状態にとどまっていなさい(17-24)
 割礼を受けた者として召された者は、割礼を受けた者として主に忠実であり、割礼を受けていない者は、割礼を受けないまま、主に忠実であればよいのです。奴隷の状態で召されたのなら、奴隷の状態で主に忠実であればよいのです。社長は社長として、社員は社員として、召されたその場所で、主に忠実でなければなりません。「社長になれば、余裕ができて、忠実にできる」と主張する人は、社長になっても、全く変わりません。

祈り:主よ!私がどんな状態であっても、主の召されに従って、忠実に神様に栄光をささげます。

一言:身分や環境が問題ではない



2013年 02月 12日 (火)

Ⅰコリント7:25-40
ひたすら主に奉仕するためなのです

Ⅰ.この世の有様は過ぎ去ります(25-31)
 パウロは、処女は結婚せずに、そのままの状態にとどまるのが良い、と言っています。その理由は、差し迫って来る患難の日に、さらに苦難を招くことになるからです。結婚することが罪を犯すことではありませんが、このような人々は、その身に苦難を招くようになります。
 クリスチャンたちは、やたらにこの世で泣きわめいてはいけません。また、物を売り買いすることに、所有している物に対して、心が奪われないようにしなければなりません。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからです(31)。クリスチャンは、ただイエス様と、イエス様がお与えになった使命にだけ、専念しなければなりません。
Ⅱ.ただ、ひたすら主に奉仕するためなのです(32-40)
 パウロが、独身生活を勧めている理由は何でしょうか。結婚をすれば、どうすれば主に喜ばれるかと心を配ることより、世のことに心を配り、どうしたら夫や妻に喜ばれるか、と心が分かれるからです。パウロは、できる限り、私たちが自由の体になり、ただ、主を喜ばせる者になるように、教えています(35)。クリスチャンは、主のためなら、結婚することもでき、しないこともでき、というような信仰の自由を持たなければなりません。

祈り:主よ!私がどんな状況の中でも、主を喜ばせることにだけ、心を配る者になるように、助けてください。

一言:ただ、主のためにだけ


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