聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2013]

2013年 03月 09日 (土)

1コリント11:1-16
男と女の霊的な秩序

1.女たちがかぶり物を着ける意味(1-10)
 パウロは、男は礼拝の時に何も着けず、女は必ずかぶり物を着けるように、命じました。なぜなら男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神様だからです(3)。特に、男は神様の似姿で、栄光の現れであり、女は男の栄光の現れだからです。
 女が頭にかぶり物を着けるのは、権威の下にいることのしるしです(10)。すなわち、女は男から生まれ、女が男のために造られたというしるしです。それで、女が頭にかぶり物を着けるのは、男と女の間の創造の秩序を認める信仰告白です。それで、女は頭にかぶり物を着けなければなりません。
2.すべては神様から発しています(11-16)
 しかし、主にあって、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるのではありません。女が男から生まれたように、男も女によって生まれ、結局、すべては神様から発しています(11,12)。男と女は本質的に同等です。ただ、役割が違うだけです。男と女は互いに補うべき存在です。この真理を知った時、本当の同労を行なうことができ、神様を喜ばせることができます。

祈り:主よ!今日、男と女が主にあって、自分の位置を認め、互いに尊敬し、同労するように、助けてください。

一言:平等ですが、秩序はある



2013年 03月 10日 (日)

1コリント11:17-34
聖晩餐について

1.聖餐の本当の意味(22-26)
 「聖晩餐」はキリストが逮捕された晩に、自らその弟子たちに命じられたことです。パンはキリストのからであり、杯はイエス様の血で立てられた新しい契約です。イエス様は、パンと杯を分け与えることで、イエス様の死をいつまでも覚えておくように、と命じられました(25)。
 それで、聖餐は、自分のためにむちで打たれ、十字架につけられ、血を流して死なれたイエス様を覚え、救いの愛を感謝する心で行なわなければなりません。また、それを行なうことで、主が再び来られる時まで、キリストの救いの愛を伝えるようになります(26)。
2.聖餐に臨む姿勢(27-34)
 聖餐に臨む姿勢は、第一に、自分を吟味しなければなりません。これは、キリストを中心とした生活ができなかった罪を悔い改め、主をその中心にお迎えするという意味です。そうしないと、自分の罪を飲み食いする結果になり、主のさばきと懲らしめを受けるようになります(32)。第二に、愛の食卓になるように、力を入れることです。キリストの救いの愛を中心とし、兄弟との間に深い愛の交わりが行なわれるように、努力して行かなければなりません(33,34)。

祈り:主よ!準備なしに、聖晩餐に参加していた私の罪を悔い改めます。私が、聖なる心を持って、主のパンとさかずきをいただきます。

一言:わたしのからだ、わたしの血


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