聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2015]

2015年 10月 30日 (金)

Ⅰコリント16:1-12
いつも週の初めの日に、収入に応じて

 コリント教会の聖徒たちは、愛を実践するために、エルサレム教会の必要を満たすために、救済献金を行なっていました。使徒パウロは、ガラテヤ教会を訪問した時、その献金を携えて、エルサレム教会に行こうとしました。献金を通して、エルサレム教会とコリント教会が、主にあって、一つになることを、願っていました。誰か困っている人がいたら、その人を助けることが、愛の実践です。
 そこで、パウロは、コリント教会の聖徒たちに手紙を書き送りました。「私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。」パウロは、誰かに強いられて献金することよりも、自発的な心で、あらかじめ用意するようにと、教えました。いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておくのです。神様から受けた恵みに応じて、信仰の分量に応じて、行ないなさいと言う意味です。
 私たちが、主に献金をささげる時は、どうでしょうか。当日になって、慌てふためいている人はいないでしょうか。それでも、神様に献金をささげることは、すごいことです。更に進んで、自発的に、準備した心で、その力量に応じて、献金を用意して置きたいものです。

祈り:主よ!私が前もって献金を準備し、神様から受けた恵みに感謝して、ささげることができるように、祈ります。

一言:収入に応じて、手もとにたくわえておきなさい



2015年 10月 31日 (土)

Ⅰコリント16:13-24
堅く信仰に立ちなさい

 使徒パウロは、コリント教会の聖徒たちに、言いました。「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。いっさいのことを愛をもって行ないなさい。」(1,2)。当時、クリスチャンは迫害の中にありました。また、教会の内外で、聖徒たちを誘惑する要素が多くありました。それで、霊的に目を覚まし、堅く信仰に立つようにと教えています。たび重なる誘惑と迫害の中にいると、心が揺れ動いてしまいがちです。しかし、クリスチャンは、どこにいても、心を強くしなければなりません。イエス・キリストの恵みの中で、深く根を下ろさなければなりません。また、世の終わりが近づくと、人々の愛が覚めてしまいます。むしろ自己中心的な人が増えて来ます。そのような環境の中にいると、知らず知らずのうちに、世の潮流に流されてしまいます。そのような時代だからこそ、全てにおいて、愛をもって、行なうようにと教えています。使徒パウロは、手紙を終えながら、同労者たちを紹介しています。ステパナの家族は、アカヤの初穂でした。アカヤは、聖徒たちのために熱心に奉仕しました。コリントの聖徒たちは、キリストのために、ともに働き、労しているすべての人たちに服従すべきです。使徒パウロは、ステパナとポルトナトとアカイコのことで、喜んでいます。それは、彼らが、コリント教会の聖徒たちの足りない分を補ってくれただけではなく、使徒パウロの心をも安心させました。このような人々の労をねぎらうべきです。アクラとプリスカの家庭は、家庭教会として用いられています。「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。アーメン。」

祈り:主よ!愛が覚めている時代だからこそ、私が堅く信仰に立ち、いっさいのことを、愛を持って行なうことができるように、祈ります。

一言:堅く信仰に立ち


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