聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2021]

2021年 06月 19日 (土)

コリント人への手紙第一11:2-16(2)
伝えられた教えをあなたがたが守っているから

パウロは礼拝の時の女性の服装問題について述べています。当時の女性たちは、公的な集まりの時だけでなく、普段も頭にベールをかぶっていました。それは男性に対する服従を示していました。また、男性の権威と保護の下に置かれた存在であることを意味していました。当時、遊女だけはベールをかぶっていませんでした。ところが、女性たちの中に、礼拝の時にベールをかぶらないで礼拝する人たちがいました。これは、今日の基準から見れば何の問題もありませんが、当時の状況としては非常に深刻な問題でした。それで、パウロはコリント教会の女性たちがベールをかぶって礼拝をささげることを勧めています。パウロは創造の秩序をとおして話します。神から人が創造され、男から女が出たので、男は神の栄光で、女は男の栄光です。ですので、女性は天使たちのために権威のしるしを、その頭の上にかぶるべきです。

ここで大切なのは、男性が優位で女性が劣っているとパウロが言っているのではなく、神から与えられた創造の秩序があると言っているということです。イエス様ご自身も、父なる神と同等でありながらも、神の御心に完全に従い、その権威の下に留まりました(ヨハネ5:19,30)。主にあって男も女も平等です。ただ、女性は男性の栄光であり、ベールをかぶって礼拝に参加し、ベールをかぶって仕えることが、当時は、主の創造の秩序を守ることにつながっていたのです。今日では、女性のベール問題はありませんが、秩序と礼拝での服装の問題は続けて残っています。私たちの集まりにも伝統的な習慣があります。この時代、この国で教会に仕えていくために築かれた伝統であり、秩序です。このような伝統は、時代に応じて異なっていくことはあるでしょうが、現在の福音の御業のために立てられた伝統は、福音の精神に大きく反しない限り、守られるべきです。



適用:伝統を守りますか

一言:あなたがたをほめる



2021年 06月 20日 (日)

コリント人への手紙第一11:17-34(27)
主のからだと血に対して罪を犯すことになります

初代教会では聖餐式の時に食事も一緒にしました(使徒2:42,46)。ところが、金持ちの聖徒は、自分たちで食べ物を持ってきて、仲間内だけで先に腹いっぱい食べました。反対に、貧しい聖徒たちはわずかな食べ物を食べるか、まったく食べずに帰る時もありました。このため、聖徒たちの間に派閥が生じました。そこでパウロは、金持ちに向かって、なぜ教会を軽んじて貧しい人たちに恥ずかしい思いをさせるのかと責めました。そもそも聖餐の意味は何でしょうか。なぜイエス様は十字架で死なれたのでしょうか。私たちのすべての罪を背負って、私たちを神様の子どもにしようと十字架で死んでくださいました。これを記念するために、主のパンと杯を飲むのが聖餐式です。主の中では、貧しい者も金持ちも、弱い者も強い者も、学んだ者も無学な者も、みな等しく子供なのです。主の中では一つです。一つになるために主の体と血を食べて飲みながら、互いに低くなって犠牲して仕えるべきです。しかし、コリント教会はこのようにしなかったです。

パウロは、誰でも主のパンや杯をふさわしくない仕方で食べたり飲んだりする者は、主の体と血に罪を犯すことであると強く言っています。ですので、聖餐式をするとき、何に注意すべきですか。まず、自分自身を吟味して、わきまえる必要があります(28,29)。吟味するという言葉は、わきまえるという意味で、自分自身を深く省察するということです。自分が良くやっているから聖餐にあずかれるのではなく、むしろ罪ある者であるからこそ、イエス様がその罪を背負って十字架について下さったことを悟る必要があります。主イエスが自分のために成して下さったことを覚えながらイエス様の肉と血を食べて飲まなければなりません。聖徒たちは、周りを見て弱い者、病人、眠っている者を顧みなければなりません。第二に、互いに待ちあわせる必要があります(33)。空腹の兄弟をまず顧みて、場合によっては、自分は家で食べて来て、集まりが裁かれないよう配慮する必要があります。このような小さな配慮にさえ、主の御心を求めていくことが必要であることが分かります。



適用:主のパンと杯を正しく食べて飲んでいますか

一言:わきまえなさい


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