聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2021]

2021年 06月 24日 (木)

コリント人への手紙第一14:1-12(12)
教会を成長させるために

コリント教会では、現代の私たちの日曜礼拝とはかなり異なる形式の礼拝をささげていました。そもそも家庭教会であり、何百人もが参加するような規模のものではありませんでした。そのため、参加者全員が、積極的に参加(預言をしたり、異言をしたり、その解釈をしたり、詩篇の詩をうたったり、など)する自由な形式でした。集まった人たちが、それぞれに神様から与えられた言葉や詩を互いに共有するような形式でした。その自由な雰囲気を自身の思いのままに振る舞うために利用していた人たちがいたようです。

パウロは、異言で語ること自体を禁じてはいません(14:26)が、公の場では秩序と有益性を優先するように教えました。そのために、パウロはコリントのクリスチャンに、愛を追い求め、預言の賜物を熱心に求めるように促しました。異言は、神に向かって語る言葉であり、集まりで用いる時には、解き明かしが伴わなければ誰も理解できないのですから、黙っているべきです。異言自体は祈る人自身を成長させ、築き上げる良いものですので、一人で個人的に祈る時用いるべきです。反対に預言は、人を育てることばや勧めや慰めとなることばです。礼拝など、教会の同労者たちとともに祈り賛美する場では、神の言葉を通してキリストを明らかにし、教会の成長のために益となる預言のほうが、異言よりもまさります。私たちの霊的な賜物を用いる際には、まず教会の成長に益となるかを考慮する必要があります。

賜物は、愛と知恵をもって用いることが大切です。そのようにする時、全体の益のために私たちの賜物は活かされます。教会は、聖徒たちが賜物を活かして同労してゆく時、成長していきます。より愛のある教会に、よりキリストを現す教会に成長してゆきます。霊的な御業のために励む者は、教会の成長の為に、賜物が豊かに与えられるように熱心に求めましょう(12)。



適用:自らを成長させようとしていますか

一言:教会を成長させて下さい



2021年 06月 25日 (金)

コリント人への手紙第一14:13-25(19)
一万のことばの異言より五つのことば

 集まりの場で異言を語る者は、解き明かすことができるように祈らなければなりません。解き明かさなければ霊は祈りますが、知性は実を結ばないからです。ですから、霊と知性で祈り、また霊と知性で賛美をしましょう。又、異言を解きあかす者がいない中で異言を聞く時、「アーメン」と言えるでしょうか。異言で感謝することは良いことですが、その意味を知らない者には助けにはなりません。これが解き明かす者がいない異言の限界です。ですから、教会では、理解できない一万のことばを語るより、理解できる五つのことばを語りましょう。

解き明かす者がいないのに、自分の思いのままに教会で異言を語ることに固執するなら、それは初心者や信じていない人たちを無視することになります。それでパウロは、「子供のように考えるのをやめなさい」と言っています。大人とは、聖徒たちに益となることを望み、そのために励む者のことです。パウロが異言より預言を求めるのには、理由があります。私たち全員が預言の言葉を話し、福音の真理をはっきりと明らかにするならば、信じていない人たちは罪について悟り、悔い改め、神が本当に私たちの中にいることを認めるようになるからです。私たちは自己中心的な考え方を乗り超えて、周りの人を強め、励まし、受け入れ、慰めるために話しましょう。そうするなら、私たちは祝福となり、教会を築き上げることができます。



適用:教会の成長を求めますか

一言:異言より御言葉



2021年 08月 24日 (火)

コリント人への手紙第一14:26-40(40)
秩序正しく行いなさい

 当時のクリスチャンたちの集いでは、賛美、啓示、異言、解き明かし等を参加者が積極的にする参加型の礼拝を捧げていました。パウロは、これら全てのことを、成長に役立てるためにするべきだと教えています。教会では秩序を守らなくてはいけません。だれかが異言で語るのであれば、二人か、多くても三人で順番に行い、一人が解き明かしをします。解き明かす者がいなければ、教会では黙っていて、個人的にします。預言をする者たちも、二人か三人が語り、ほかの者たちはそれを吟味します。また、他の人にも機会を与えるために、先に語っていた人は黙り、譲ります。こうすることで一人ずつ順番に預言し、だれでも学び、だれでも励ましを受けるのです。めいめいが自分の好き勝手にすれば、教会は秩序のない、騒がしいだけの所になってしまいます。神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。秩序の中で、平和にささげる私たちの礼拝に、神様は臨在されるのです。

 パウロは、女性は「教会では黙っていなさい」(34)と命じています。なぜでしょうか。コリントは、商業都市として非常に栄えていた都市でしたが、不道徳で邪悪な慣習でも悪名高い地域でした。そのような異教文化が抜けきれていない異邦人クリスチャンがコリント教会には多くいました。そのため、礼拝中に夫に大きな声で質問したり話かけたりする妻たちがいて、礼拝の霊的な雰囲気を壊していました。パウロは、女性が教会で祈ったり、預言したり、教えたりすることを禁じたのではなく、教会全体に影響力を持つ女性たちが、異教の習慣を捨て、言葉を自制し、秩序正しく行うことを命じたのです。律法を重んじる生活をしてきたユダヤ人クリスチャンとは違って、異教出身のコリントのクリスチャンは、主にある正しい行動基準についての知識が乏しく、教会でも自己中心で不品行な行動を取ってしまっていたようです。彼らは、パウロを通して福音的な考え方、主にある行動基準を学ぶ必要がありました。



適用:なぜ礼拝に秩序が必要だと思いますか

一言:平和の神様!


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