聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2006]

2006年 10月 06日 (金)

Ⅱコリント1:1-11
すべての慰めの神様


Ⅰ.苦難と慰め(1-7)

 使徒パウロはコリントの聖徒たちに手紙を書きながら、慰めの神様を賛美します。神様は、パウロが苦難の中にいる時、彼を慰めてくださり、新しい力をくださいました。そしてこの慰めによって、他の人々も慰めることができました(4)。パウロは福音を宣べ伝えながら、キリストがお受けになったような苦難を多く受けました。同時にキリストがお受けになったような慰めも多く受けました。彼がこの体験を通して確信するようになったのは、苦難がある所には必ず神様の慰めがあり(7)、それによって他の人を慰める牧者になることができるということです。

Ⅱ.神様により頼る者になるため(8-11)

 パウロは、コリントの聖徒たちに、彼がアジヤであった苦しみを知って欲しいと、願いました。彼は多くの苦労をし、生きる望みも失い、死を覚悟しました。しかし神様の助けによって生かされながら、彼は全能なる神様により頼む者となりました(9)。これからも多くの危険が予想されますが、神様により頼んだので、危険を避けずに、神様の助けを求めることができました(10)。私たちがイエス様に従って福音を宣べ伝えると、必ずこの世で苦しみを受けるようになります。死を求めるようにもなります。しかしその時が、まさに神様の慰めを体験し、神様の助けを体験する時です。そしてこれを体験した時、少しづつ他人を慰める人格が生じるようになり、どんな危険にも屈しない信仰を持つようになります。


祈り:主よ!神様は慰めの神様であり、救いの神様です。私が苦難を受ける時ごとに、この神様を仰ぎ見ます。

一言:慰めの神様、救いの神様



2006年 10月 07日 (土)

Ⅱコリント1:12-2:4
あふれるばかりの愛


Ⅰ.軽率に計画を立てたのではない(1:12-22)

 コリントの聖徒たちの中には、パウロがコリントを訪問すると言っておいて、これを守らなかったことに対して、「パウロは自分の利益によってむやみに約束を破る奴だ。」と非難する人々がいました(17)。これに対して、パウロは詳しく事情を説明します。パウロは、マケドニヤに行く途中と、マケドニヤからユダに行く途中の、二回、彼らを訪問しようと計画を立てました(16)。パウロのこの計画は、軽率に立てられたものではありませんでした。彼は、イエス様が神様の御言葉にいつも「はい。」とお答えになり、その通りに聞き従われたことを、よく知っていました(20)。このイエス様を見習う者として、彼は約束の大切さを誰よりもよく知っていました。

Ⅱ.コリントに行かなかった理由(1:23-2:4)

 パウロがコリントを訪問しなかった理由は、彼らの信仰生活を支配するのではなく、そばで助けようとしたからです(24)。傷ついた心の状態で、パウロが彼らの所に行けば、彼らを悲しませるだけではなく、問題解決がさらに複雑になるからでした。それでパウロは直接行く代わりに手紙を書いて、問題を解決しようとしました。彼はその手紙を書きながら、羊たちに対する心が痛む気持ちで多くの涙を流しました。パウロは、彼らが無条件に自分を非難することより、彼らを悲しませないように努力する自分の気持ちと、あふれるばかりの愛を知って欲しいと願いました(2:4)。パウロが約束を守らなかったのであれば、それは彼らに対する愛のゆえでした。


祈り:主よ!パウロの牧者の心情を学ぶようにしてくださり感謝します。私が自分の権威や体面より兄弟たちをさらに愛するように助けてください。

一言:体面より愛を


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