聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2006]

2006年 10月 09日 (月)

Ⅱコリント3:1-6
新しい契約に仕える者


Ⅰ.あなたがたがキリストの手紙であり(1-3)

 コリントの聖徒たちの中には、パウロの使徒職に対して異議を提議する人々がいました。彼らは、パウロがエルサレム総会で発行した推薦状がないので使徒の資格がない、と主張しました。これに対してパウロは、自分についての推薦状は人々の文字ではなく、福音を聞いて変えられたコリントの聖徒たち自身である、と言います(2)。パウロが伝えた福音を聞いて変えられた聖徒たちこそ、キリスト自らが書かれた推薦状です。それは墨によって書いたのではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものです(3)。形式的な推薦状よりも、もっと大切なのは聖霊の御業です。その人が神様のしもべかどうかは、その人を通して起きる聖霊の実で判断しなければなりません。

Ⅱ.新しい契約に仕える者(4-6)

 パウロは、自分一人によって使徒職についたのではなく、神様から出たものであることを確信しました(5)。また、神様が自分を新しい契約に仕える者にしてくださったことを誇りに思いました(6)。「新しい契約」とは律法を守ることで得る救いではなく、イエス様を信じることで得る救いを指します。文字で書かれた律法は救いどころか、人を罪に定め、死に至らせます。しかし新しい契約は御霊によって人を生かし、永遠のいのちに至らせます。私たちがこのような新しい契約に仕える者になったのは、驚くべき神様の恵みです。


祈り:主よ!律法の中に閉じ込められていた私を新しい契約に仕える者にしてくださり感謝します。私が新しい契約を広く知らせます。

一言:新しい契約に仕える者



2006年 10月 10日 (火)

Ⅱコリント3:7-18
栄光ある義とする務め


Ⅰ.罪に定める務めと義とする務め(7-11)

 モーセがシナイ山で十戒が刻まれた石版を持って降りた時、彼の顔から光が発せられました。イスラエルの民は彼の顔をまっすぐ見ることができませんでした(出34:30)。モーセが伝えた律法を石に刻まれたものであり、その戒めを守ることができない人々は結局死ぬようになりました。このように人を罪に定め、死に至らせる律法を持って来たモーセも栄光があふれていたのなら、なおさら、御霊の助けによって人を生かす務めには、どれほどの栄光があふれているのでしょうか(9)。モーセの栄光はキリストの栄光によってその光がさえぎられ、結局消え去りました。しかし福音を伝える者たちが受ける栄光はイエス様の栄光のように永続するものです(11)。

Ⅱ.顔のおおいを取りのけて主の栄光を見る(12-18)

 モーセはイスラエルの民たちと対面する時、顔におおいを掛けました。その理由は民が将来消え去る栄光をむやみに見ないためでした(13)。ところが使徒パウロ当時のユダヤ人たちは、旧約聖書を読みながら、今も心にはおおいが掛かっていました。それで彼らは旧約ではっきりと預言されたキリスト・イエスを見ることができず、また受け入れることもできませんでした。しかし私たちは、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を見るのです。それだけではなく、私たちは少しずつ、主の栄光ある御姿に変えられるのです(18)。


祈り:主よ!律法の判断に苦しめられた私たちに、栄光ある義とする務めをくださり感謝します。私はただ神様の栄光だけを仰ぎ見ます。

一言:栄光ある義とする務め


<<(1)    前のページ(2)    3    次のページ(4)    (13)>>

聖書別日ごとの糧