聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2006]

2006年 10月 11日 (水)

Ⅱコリント4:1-6
神の栄光を知る知識


Ⅰ.キリストの栄光にかかわる福音の光(1-4)

 使徒パウロには、栄光ある義とする務めを受けたという自負心がありました。この自負心によって、彼はどんな苦難があっても勇気を失うことがありませんでした(1)。それだけではなく、彼は恥ずべき隠されたことを捨て、悪巧みに歩みませんでした。御言葉を曲げず、ただ真理だけを明らかにしました。それで彼は神様と人々の前で自分を大胆に表すことができました(2)。それでもパウロが伝える福音を受け入れない人々がいました。このような人々はみずから滅びを招くものであり、この世の神であるサタンが彼らの心をおおって、神様のかたちであるキリストの福音の光を輝かせないようにしました(4)。

Ⅱ.キリストの御顔にある神の栄光(5,6)

 パウロは福音を伝えながら、自分を現すことより、イエス様が私たちの主であることと、イエス様を証しするために自分が聖徒たちのしもべになったことを証しました。初めに天と地を創造され、「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神様が、パウロの心にも光を照らし、キリストの御顔にある神様の栄光を知るようにしてくださいました(6)。イエス様は本来栄光ある神様です。私たちがこのイエス様を知り、人々にイエス様を証しするようになったのは、驚くべき恵みです。私たちがどんな状況の中でも、キリストの御顔に現れた神様の栄光を熱心に証しできるように祈ります。


祈り:主よ!主は本来栄光ある神様です。私の心にもその栄光を知らせる光を照らしてくださり感謝します。

一言:神様の栄光を知る知識



2006年 10月 12日 (木)

Ⅱコリント4:7-18
土の器の中に入っている宝


Ⅰ.この宝を土の器の中に入れているのです(7-15)

 私たちは土の器のように栄えもなく、弱い存在です。しかし私たちはその中に宝を持った存在です。この宝はイエス・キリストによる救いの福音です。私たちが福音を伝えれば、この福音を受け入れる人々が救いを受け、新しい人生を生きるようになりますが、これは私たちが素晴らしいからではなく、私たちの中に福音の宝があるからです。心に宝を入れた人の人生は起き上がりこぶしのようです。四方八方から苦しめられますが、窮することなく、途方にくれていますが、行きづまることはなく、迫害されていますが、見捨てられることはなく、倒されますが、滅びません(9)。それはその全てのことを通して、私たちの中にある「宝」すなわち「イエス様のいのち」を現そうとする切なる願いがあるからです(10,11)。

Ⅱ.内なる人は日々新たにされています(16-18)

 パウロはどんなに辛いことがあっても勇気を失いませんでしたが、その理由は彼の外なる人は衰えても、彼のたましいは日々新たにされていることを感じていたからです(16)。苦難にぶつかるほど、私たちのたましいは少しづつ清くなり、苦難の後に受けるようになる神の御国の賞に対する望みで満ちるようになります(17)。私たちは土の器のように弱い者ですが、宝のような福音を持っています。この宝で数多くの人々を救い、永遠の神様の御国の賞を受けることができるように祈ります。


祈り:主よ!私が土の器のように弱い者です。しかし私の中にある宝によって力を尽くして、いのちを救うことができるように助けてください。

一言:土の器の中に入っている宝


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