聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2006]

2006年 10月 13日 (金)

Ⅱコリント5:1-10
天にある永遠の家


Ⅰ.天にある家(1-5)

 私たちの肉体は幕屋(テント)のようです。この幕屋はいつかは倒れてしまいますが、私たちは心配しません。なぜなら天の御国には、人の手によらない、神様がお建てになった永遠の家があるからです。私たちは今肉体の家でうめき、天の住まいを着たいと望んでいます(2)。しかし私たちがこのようにうめいているのは、このからだを脱ぎたいからではなく、天からの住まいを着て、永遠に生きることを願うからです(4)。

Ⅱ.キリストのさばきの座(6-10)

 パウロは肉体にとどまっている間は、主と離れて生きていますが、いつかは主と一緒になることを確信して生きていました。彼が本当に願うことは早く肉体を脱いで主と共に生きることでした。しかし彼はこの世にある羊たちのために勝手なことができませんでした。それで彼は肉体の中にあろうと、離れていようと、ただ主だけを喜ばせようとしました(9)。彼がこのような人生を生きるようになったのは、将来来るキリストのさばきを信じるからです。その日には、全ての人々がキリストのさばきの座の前で、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けるようになります(10)。私たちもパウロのように天にある永遠の住まいに対する望みを持ち、キリストのさばきに備えて生きていなければなりません。そうすると、私たちは死をも乗り越え、神様を喜ばせることができます。


祈り:主よ!永遠の天の家を備えてくださり感謝します。私がそこに対する望みの中で、死の限界を乗り越えて生きます。

一言:天にある永遠の住まい



2006年 10月 14日 (土)

Ⅱコリント5:11-21
見よ、すべてが新しくなりました。


Ⅰ.キリストの愛が私たちを取り囲む(11-15)

 パウロは福音を熱心に宣べ伝えていましたが、時々人々から「狂っている。」と言われたりもしました。それは、彼が神様の御旨を成すためにあまりにも熱心になったからです。彼は人々が自分をどのように評価しても、ただ神様と聖徒たちのために献身しました(13)。彼が熱心に福音を宣べ伝えた理由は、誰かに強いられて仕方なく行なったのではなく、キリストの愛が彼の心を取り囲んでいるからです(14)。彼は主の驚くべき愛を受け入れた者として、その恵みを担わないと耐えられませんでした。イエス様は、私たちの代わりに十字架で死なれ、私たちはその恵みによって新しいいのちを得ました。どうして主とその羊たちのために献身せずにいられるのでしょうか(15)。

Ⅱ.和解させる務め(16-21)

 イエス様によって生まれ変わった人は新しい被造物になります。罪深い自我が死んで、新しい自我として生まれます。イエス様の中で、新しい生活をするようになった感激は本当に大きいものです。「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(17)と叫ばずにはいられません。このようにイエス様を通して、新しく生まれた感激がある人々は、他の人たちを肉体としてみません。イエス様の中で再び生まれた神様の人として見ます。彼らが見る時、足りない人や悪い人はいません。それで彼らは人々と神様を和解させ、人々と人々を和解させる務めを担うことができます。


祈り:主よ!罪深い私を変えて、新しい人生を生きるようにしてくださり感謝します。私が和解の福音を熱心に宣べ伝えます。

一言:見よ、すべてが新しくなりました。


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