聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2006]

2006年 10月 20日 (金)

Ⅱコリント10:1-11
私たちの戦いの武器


Ⅰ.肉に従って戦わなかったパウロ(1-6)

 コリント教会の中には、パウロが遠くから手紙を書く時には強気な者ですが、顔を見ると弱くうわべだけだと、あざ笑う人々がいました。これは、パウロがイエス様の心を見習って(ピリ2:5-9)、罪で病み弱い兄弟たちに、愛と謙遜で仕えていることを知らず、人間的な目で見たからです。それに対するパウロは、私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいないと言いました(3)。これは私たちが戦う対象が目に見える人や制度のようなものではなく、目に見えない悪い霊だからです。悪い霊は人を傲慢にし、さまざまな人の理論や思想で神様に敵対し、キリストを排斥するようにします。このようなものと、肉に従って戦えば、ぶつかるだけで、何の解決にもなりません。しかし聖霊は傲慢を破壊し、人の考えを捕らえ、キリストに服従させる「神の力」(divine power)です。このような聖霊の力は神様の御言葉をそのまま信じ、宣布する時に現れます。

Ⅱ.使徒の権威をお与えになった目的(7-11)

 パウロは、主が使徒の権威をお与えになったのは兄弟たちを倒すためにではなく、立てるために与えられたことを、よく知っていました(8)。福音の働き人は主がお与えになった権威を自分の利益のために使わずに、ただ兄弟たちを信仰の上に立たせ、生かすために使わなければなりません。


祈り:主よ!私が謙遜と柔和で兄弟たちに仕え、神様の力で福音の敵をみな破り、服従させる者になるようになるようにしてください。

一言:私たちの武器は神様の力



2006年 10月 21日 (土)

Ⅱコリント10:12-18
主にあって誇りなさい


Ⅰ.自己推薦は知恵のないことです(12)

 パウロの敵対者たちは自己推薦をしながら、使徒パウロを中傷し、コリントの聖徒たちの心を奪いました。ところが自分の基準で自己推薦することは知恵のないことなのです(12)。

Ⅱ.主にあって誇りなさい(13-18)

 パウロは敵対者たちとは違い、神様が割り当ててくださった限度を超えて誇りはしませんでした(13a)。パウロは、福音がコリントの聖徒たちにまで達したこと(13b)、すなわちコリント教会が開拓されたことを誇りましたが、それはキリストが、パウロの伝えた福音を通して、成し遂げられたからです(14)。それで敵対者たちがコリント教会のことで誇るのは、他人の労苦で自分の限度を越えて誇ることでした。パウロは、コリントの聖徒たちの信仰が成長するに従って彼らのうちに自分の活動領域がさらに大きくなり、それで福音がその地域を越えてローマとイスパニヤにまで伝えられることを願いました(15,16,ロマ15:28)。しかしどこまでも神様が定められた限度を守るべきであり、他人がしたことをまるで自分がやったかのように誇ろうとしているのではありません。人には、自分を誇りたい欲望があるために、一つ一つ上げては自慢しようとします。しかし誇る者は、主にあって誇らなければなりません(17)。本当に認められる人は自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人です(18)。この世で本当に誇れるのはただとこしえの主だけです。


祈り:主よ!私が自己推薦し、人々の称賛を求めることより、神様の称賛を受ける人になるように、助けてください。

一言:主にあって誇りなさい


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