聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2006]

2006年 10月 24日 (火)

Ⅱコリント12:1-10
自分の弱さを誇るパウロ


Ⅰ.パウロが見た啓示(1-6)

 パウロは自分が使徒であることを証しするために、誇ることはしませんでしたが、主が与えられた幻と啓示のことを話します。彼は十四年前に第三の天にまで引き上げられ、人間には語ることを許されていないことばを聞きました(4)。それはパラダイスで将来彼が受けるようになる栄光に対しての幻と啓示でした。神様は、悪条件の中福音を伝えるために苦労するパウロを慰めるために、そのような栄光をお見せになったのです。パウロは敵対する人々のためにどうすることもできずに、神様が見せてくださった啓示を話しましたが、それを彼の自慢としませんでした。

Ⅱ.パウロが持ったとげ(7-10)

 パウロの肉体には病気がありました。これはパウロが「とげ」あるいは「サタンの使い」と言われるほど、苦痛なものでした。それでパウロはこれを自分からさらせてくださるようにと、三度も主に願いましたが、主はこのように言われました。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」(9)。パウロはこの御言葉を通して、神様が自分の肉体にとげを与えられたのは、自分が高ぶらないようにするためであること、を悟りました。そして自分が弱くなるその時こそ、キリストの強い力を体験できる時であることを、悟りました。それで彼は自分の弱さと、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。私たちに痛みと弱さがあるとしたら、それは恥ずかしく思うのではなく、誇りに思うべきなのです。なぜなら私たちは弱い時にこそ、強いからです。


祈り:主よ!自分の弱さと苦しみによって悲しんでいた罪を悔い改めます。今私の弱さを誇り、喜びます。

一言:私が弱い時にこそ、強いからです。



2006年 10月 25日 (水)

Ⅱコリント12:11-21
使徒としてのしるし


Ⅰ.兄弟たちに負担をかけなかったパウロ(11-13)

 パウロは、にせ使徒たちによって分別力がゆがんだ聖徒たちのために、自分があの大使徒たちに比べて少しも劣るところはない理由を、話しました。パウロが見た本当の使徒のしるしは、忍耐を尽くしてなされた奇跡と不思議と力あるわざでした。パウロは聖徒たちの弱さと罪を忍耐しました。そして彼らのために受難と労苦を担いました。また、彼は聖徒たちに負担をかけないように、自ら働いて自費で宣教しました。彼が財政的な支援を受けなかったのは、ほかの使徒たちに比べて資格が無かったからではなく、幼い聖徒たちに負担をかけないためでした。パウロは、自分にもほかの使徒たちに劣らない力としるしがありましたが、使徒となったしるしとしてまず忍耐を出しました。忍耐こそ彼が使徒という最高のしるしです。本当の使徒は忍耐で聖徒たちに仕える者です。

Ⅱ.財産ではなく、愛を求めたパウロ(14-21)

 パウロは、三度目に彼らに行きながら望むことは、やはり彼らに負担をかけさせないことです。パウロが求めるのは財産ではなく、彼ら自身です。敵対する者たちが訴えることとは違い、パウロやその一行のうち誰もが、彼らに何の利益も求めませんでした。むしろパウロは彼らのたましいのために、喜んで財を費やし、彼自身さえも使い果たそうとしました(15)。


祈り:主よ!本当の使徒は何を受けるのかではなく、耐え忍ぶ者であり、自分のものを分け与える者であることを学び、感謝します。

一言:耐え忍ぶ使徒、犠牲する使徒


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