2005年 06月 15日 (水)
愛をもって互いに仕えなさい
Ⅰ.愛によって働く信仰(1-6)
キリストが私たちの罪によって十字架につけられ死なれることで、私たちを自由にしてくださいました。それで私たちはキリストの恵みの上にしっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなければなりません(1)。
割礼は律法を守ることで義と認められようとする人の努力です。もし私たちが義と認められるために何か努力をするなら、キリストの救いの恵みを無益なものにし、キリストから落ちてしまうのです(4)。私たちは御霊の導きを行ない、信仰によって生き、義をいただく望みを抱いているのです(5)。割礼や無割礼は救いのためには何の効果もないのです。ただ愛によって働く信仰だけが私たちを罪と死の勢力から救うことができるのです。まことの信仰は愛が伴うのです。
Ⅱ.愛をもって互いに仕えなさい
ガラテヤの聖徒たちは真理に聞き従う生活をしていましたが、にせ教師によってかき乱されてしまいました。パウロは彼らをかき乱す者は誰でもさばきを受ける者だと警告しています(7-12)。
私たちは自由のために召されましたが、この自由で肉の働く機会にしてはいけないのです。ただ愛をもって互いに仕えなければなりません。愛は多くの罪を覆います(Ⅰペテ4:8)。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです(ロマ13:8)。
祈り:主よ!私が、主がくださった自由で放蕩せずに、愛をもって羊たちに仕えるしもべになるように助けてください。
一言:愛をもって働く信仰
2005年 06月 16日 (木)
御霊に導かれて進もうではありませんか
Ⅰ.肉の欲望を満足させる人々(16-21)
肉の欲望を満足させる人はいつも御霊に逆らっています。なぜなら肉の願うことと御霊は互いに対立しているからです(17)。肉の欲望を満足させる人は罪の実を結びます。肉の行ないは不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです(19-21a)。このようなことをしている人々は決して神様の御国を相続することができません(21b)。このようなことをしている者には神様の御怒りが臨むようになるのです(コロ3:5,6)。
Ⅱ.御霊によって生きる者(22-26)
御霊によって生きるようになれば、肉に縛られず、また律法から自由になるのです(16,18)。それだけではありません。御霊によっていきるようになれば、内的、外的に美しい御霊の実を結ぶようになるのです。御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です(22,23)。このような内的な実を結ぶようになれば、自然に外的な実も結ぶようになるのです。
御霊によって生きるためには肉とともに情欲や欲望を十字架につけなければならないのです(24)。
祈り:主よ!私がキリスト・イエスの人として肉と情欲や欲望を十字架につけ、御霊によって生きることで美しい御霊の実を結ぶように助けてください。
一言:人は必ず実を残す
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