聖書別日ごとの糧   >>   ガラテヤ[2009]

2009年 05月 19日 (火)

ガラテヤ人ヘノ手紙3:1-14
福音と律法

Ⅰ.行ないに基づいた律法信仰
 使徒パウロはまずガラテヤ人の愚かさを咎めています。彼らは十字架につけられたイエス・キリストを信じ、御霊を受けて生まれ変わった新しい人になりました。ところが今になって彼らは偽りの教師に惑わされて律法を守ろうとしたのです(1)。これは十字架の真理を軽んじて、御霊の御業をむだにしたのです(4)。
 律法主義者たちはモーセの教えの通りに割礼を受け、律法を守れば救いを受けることができると主張しました(使15:1)。しかし律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれてしまうのです(10)。また神様の前では律法によって義と認められた人はこの世には誰もいないのです(11)。
Ⅱ.信仰によって生きる福音信仰
 私たちが御霊を受け、新しく生まれた人になったのは、律法の行ないによってではなく、信仰を持って福音を聞いたからです(2)。先祖アブラハムも神様を信じることで義と認められました(6)。それで信仰によって生きる人はアブラハムの子どもであり(7)、アブラハムが受けたことと同じ祝福を受けるようになるのです(9)。キリストが十字架につけられて呪いを受けたものになったのは、私たちを律法の呪いから贖い出してくださるためでした(13)。これは私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようにするためなのです(14)。

祈り:主よ!私が律法に縛られる愚かな者にならず、ただ信仰によって生きる者になるように助けてください。

一言:信仰によって生きる福音信仰



2009年 05月 20日 (水)

ガラテヤ人ヘノ手紙3:15-25
約束と律法

Ⅰ.アブラハムに恵みによって与えられた約束(15-18)
 神様は人類救済の御業を始められる時、アブラハムとその子孫に約束されました(創12:3,7,13:15,17:7,22:18)。その子孫とはすなわちキリストです。ところがこの約束はアブラハムの信仰を根拠にした神様の一方的な約束であるので、変更がありません。 
 また、この約束は430年後にできた律法によって取りされることはありません(17)。約束は律法より先なのです。神様は信仰によって生きるアブラハムにただ恵みによって約束をくださり、この約束を守られたのです。
Ⅱ.律法はキリストに導く養育係(19-25)
 では律法とは何でしょうか。律法は罪を罪としてはっきり認識するために約束につけ加えられたものです(19)。それで律法は神様の約束に決して違反することができません。
 律法は私たちが罪によって判断され裁かれるしかない存在であることを認識させ、救いの必要性を切実に感じさせるのです。それで私たちをキリストに導く養育係、すなわち家庭教師の役割をしているのです(24)。それで信仰が来た後には、私たちが養育係の下にいるのではないので、律法から自由になるのです。

祈り:主よ!律法に縛られずに、ただ恵みで与えられた約束の御言葉を堅くつかんで、信仰によって生きるように助けてください。

一言:約束は恵みだ



2009年 05月 21日 (木)

ガラテヤ人ヘノ手紙3:26-4:7
神の子ども

Ⅰ.イエス様を信じることで神の子どもになりました(3:26-29)
 私たちが神様の子どもになったのは律法によるものではありません。それはキリスト・イエスに対する信仰によって、ただ神様の恵みによってそうなったのです。神様の子どもはキリストとつながった者であり、その時まで着ていた汚れた罪の服を脱ぎ捨て、キリストをその身に着た者です(27)。また神様の子どもはアブラハムの子孫として約束通りに、神様の御国を相続する者なのです(29)。
Ⅱ.神様を「アバ、父。」と呼ぶことができるようになりました(4:1-7)
 遺産を相続する者は全財産の持ち主です。しかし子どものうちは奴隷と少しも違わず、父の定めた日までは後見人の下にあり干渉を受けるのです。このように私たちが小さかった時には、幼稚な教えの下の奴隷になっていたのです(10)。しかし時になると、神様がご自分の御子をお遣わしになり、律法の下にある私たちを贖い出してくださり、子どもの身分を得させたのです(4,5)。
 神様は私たちの心に御子の御霊を注いでくださり、神様を「アバ、父。」と呼ぶようにされました。これは世の中のどんなことよりも、最も大きな祝福なのです。

祈り:父なる神様!私を縛っていた幼稚な教えから自由にし、神様を父と呼ぶようにしてくださり感謝します。

一言:子どもの身分を得るようにしてくださった神様


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