聖書別日ごとの糧   >>   ガラテヤ[2016]

2016年 06月 23日 (木)

ガラテヤ3:1-14
福音と律法

Ⅰ.行ないに基づいた律法信仰
 使徒パウロは、まずガラテヤ人たちの愚かさを指摘しています。彼らは十字架につけられたイエス・キリストを信じ、御霊を受けて生まれ変わり、新しい人になりました。ところが今、彼らはにせ教師たちに惑わされ、律法を守ろうとしました(1)。それは、十字架の真理を軽んじて、御霊の働きを無駄にすることでした(4)。
 律法主義者たちは、モーセの教えに従って割礼を受け、律法を守らなければ、救いを受けることができないと主張しました(使15:1)。しかし律法信仰は、律法の書に記録された全てのことを行なわなければ、のろいの下にある人になってしまいます(10)。また、神様の前では、律法によって義とされる人は、この世には誰もいません(11)。
Ⅱ.信仰によって生きる福音信仰
 私たちが御霊を受けて生まれ変わり、新しい人になったのは、律法を行なったからではなく、 信仰をもって福音を聞いたからです(2)。先祖アブラハムも、神様を信じることで、義とされました(6)。それで信仰によって生きる者は、アブラハムの子孫であり(7)、アブラハムが受けた同一の祝福を受けるようになります(9)。キリストが十字架につけられて呪われた者になったのは、私たちを律法の呪いから贖い出されるためです(13)。それは、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためです(14)。

祈り:主よ!私が律法に縛られる愚か者にならず、ただ信仰によって生きる者になるように、助けてください。

一言:信仰によって生きる福音信仰



2016年 06月 24日 (金)

ガラテヤ3:15-29
約束と信仰

Ⅰ.アブラハムに、恵みによって与えられた約束(15-18)
 神様は、人類の救いの御業を始められた時、アブラハムとその子孫に約束をくださいました(創12:3,7,13:15,17:7,22:18)。彼の子孫はすなわちキリストです。ところが、この約束は、アブラハムの信仰に基づいた神様の一方的な約束なので、変更されることがありません。
 また、その四百三十年後にできた律法がこの約束を廃することはできません。神様は、信仰によって生きるアブラハムに、ただ恵みによって、約束をくださり、この約束を守られました。
Ⅱ.律法はキリストに導く養育係(19-25)
 では、律法とは何でしょうか。律法は、罪を罪としてはっきり認識するために、約束に付け加えて与えられたものです(19)。それで律法は、神様の約束に決して反することができません。
 律法は、私たちが罪によって定められ、さばかれるしかないことを認識させ、救いの必要性を切実に感じさせます。それで私たちをキリストに導く養育係、すなわち家庭教師の役割を果たします(24)。しかし信仰が現れた今、私たちはもう養育係の下にはおらず、律法から自由になりました。

祈り:主よ!律法に縛られず、ただ恵みによって与えられた約束の御言葉をつかみ、信仰によって生きるように、助けてください。

一言:約束は恵みだ


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