聖書別日ごとの糧   >>   ガラテヤ[2020]

2020年 07月 26日 (日)

ガラテヤ人ヘの手紙4:1-7(7)
奴隷ではなく子です

 パウロは、私たちと律法との関係を、その当時のガラテヤ地方の習慣を使って説明しています。相続を受け継ぐ相続人が子ども(未成年)であるうちは、父が定めた日までは、父親が雇った後見人や管理人の下で保護と養育と訓練を受けました。財産相続権が約束されてはいても、未成年のうちは、奴隷と同様に管理人によって様々な躾を受けながら、定められたル-ルに従って生活し、自由に財産を使うことは出来ませんでした。同じように、イエス様が来られるまでのイスラエルの民は、モ-セの律法によって生活習慣の全てを定められ、しつけられ、育てられました。アブラハムに約束された祝福(創世記22:18)を受け継ぐ者ではありましたが、律法によって厳しく管理されていました。しかし時が満ちて、神様はご自分の御子を、律法の下にある者として遣わされ、律法の下にある者たちを十字架の血潮によって贖い出し、律法から解放し、神の子として神様に受け入れられるようにされました。
 イエス様のうちでは、神様と私たちは父と子になりました。相続関係のない主人と奴隷の関係ではありません。イエス様のうちで父なる神様の全てを相続出来る子となりました。子となった祝福は何ですか。第一に、神様を「アバ、父よ」と呼べることです。ユダヤ人にとって神様は、恐れおののくべき存在でした。名前さえ呼べませんでした。しかし、今は子となり、「アバ、父よ」と呼べるようになりました。イエス様によって神様が私たちの優しいアバ、父となり、私たちも全能なる能力で保護される子となりました。第二に、御国を受け継ぐことができるのです。ロ-マでは養子縁組をすれば、養父母の財産だけではなく、社会的地位、権力等のすべてを相続でき、享受出来ました。私たちも子となって、父なる神様のすべてを相続し、享受できるようになりました。これは、まことに大きな祝福であり特権であります。


適用:奴隷ですか、子ですか

一言:子です



2020年 07月 27日 (月)

ガラテヤ人ヘの手紙4:8-20(19)
再びあなたがたの為に産みの苦しみをする

 ガラテヤ地方の聖徒たちは、かつて神様を知らなかった時、本来神様ではない神々の奴隷でした。しかし、彼らは福音を信じて神様の子となり、神様を人格的に知るようになりました。彼らは律法に縛られた生活から抜け出さなければなりません。ところが、彼らは再び逆戻りして、律法の奴隷になろうとしていました。律法主義は罪の問題を解決できないどころか、信仰の成熟を妨げる、弱くて貧弱な教えに過ぎないのです。律法主義者たちの惑わしを受け続ける彼らを、使徒パウロは心配しています。私たち信者は、福音によって罪の問題が解決された後、律法的な信仰を捨てなければなりません。その代わりに、福音にあって神様と人格的な関係を結んで成長していかなければならないのです。
 以前ガラテヤの聖徒たちは福音を尊く思ったために、福音を伝えたパウロを神の御使いであるかのように、キリスト・イエスであるかのように受け入れました。パウロの病気が彼らにとって負担になっていたにもかかわらず、パウロを軽蔑したり、嫌悪したりしませんでした。彼らはできることなら、自分の目をえぐり出してパウロに与えたいと思ったほどにパウロを愛しました。しかし、律法主義者たちが彼らを説得し、使徒パウロから引き離して、自分たちに熱心にならせようとしました。これに対し、使徒パウロはガラテヤの聖徒たちの心に、キリストの形が造られるまで、再び産みの苦しみを担おうとしました。パウロは聖徒たちを子どもとして思い、彼らが惑わされた時には、これを解決するために、どんな犠牲も惜しまなかったのです。牧者は、試練にあっている羊たちの心にキリストの形が造られるまで、諦めることなく最後まで育てる労苦を担わなければなりません。


適用:惑わされる羊にどの様に仕えていますか

一言:キリストの形が造られるまで



2020年 07月 28日 (火)

ガラテヤ人ヘの手紙4:21-31(31)
自由の女の子どもです

 使徒パウロは、二人の女の例を通して二つの契約について説明します。神の約束して下さった子がなかなか生まれないのに焦ったアブラハムと妻のサラは、女奴隷ハガルによって子を得ようとしました。それで、アブラハムはハガルによって息子を得ましたが、その息子であるイシュマエルもまた奴隷でした。このハガルは、モ-セの律法による古い契約を意味します。ハガルの息子が奴隷の身分から抜け出せないように、律法主義者たちは律法のくびきから抜け出せないのです。一方、サラはアブラハムの本妻であり自由の女です。サラが産んだイサクは、肉によって生まれたイシュマエルとは違って、神様の約束によって生まれました(23)。人間的には、到底、子を産めない時に、超自然的に神様の約束を通して生まれました(ロ-マ4:19)。ここで、サラは新しい契約であるキリストの福音を意味します。サラが自由な人であるように、キリストの福音に従う者たちは、律法に縛られることなく自由に生活します。ガラテヤの聖徒たちも、私たち信者も、イサクように約束の子どもなのです。(28)
 けれども、律法主義者たちは聖霊によって生まれた者たちを迫害しました。まるで女奴隷の息子であるイシュマエルが、約束の子であるイサクを迫害したように、今もその通りになっています。これに対して聖書は、「女奴隷と女奴隷の息子を追い出して下さい。」と言われています。私たちは女奴隷の子ではなく、自由な女の子どもである故に、律法を追い出すべきです(30,31)。私たちは律法的な信仰を脱ぎ捨て、キリストの福音を信じて真の自由を味わう生活をしなければなりません。


適用:女奴隷の子ですか

一言:自由の女の子


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