聖書別日ごとの糧   >>   ピリピ[2022]

2022年 11月 10日 (木)

ピリピ人への手紙4:1-9(4)
いつも主にあって喜びなさい

 当時のピリピ教会には二人の女性リーダーがいましたが、その二人が同じ思いになっていない難しさがありました。パウロは、二人の姉妹には問題があると言って、彼女たちの人格を無視することや、罪に定めるようなことはしませんでした。むしろ二人が他の同労者とともに、福音のために働いた人たちだと認めています。この人たちは、いのちの書に記されているとも言います。二人のために、パウロは彼女らと同労している協力者たちにも、助けをお願いしています。パウロは二人に、「主にあって同じ思いになって(2)」と勧めます。「同じ思いになって」とは、「一致しなさい」という意味です。「主にあって」とは、天と地を造られた神、ご自分のひとり子をお与えになった程に世を愛された神さまの内に留まるということです。問題から目を上げて、主ご自身を慕い求めるのです。自分の神さまがどのような方であり、自分が主にとってどのような者であるかを思い起こすなら、私たちの心は広がり、互いの差異を乗り越えて一致することが出来ます。そんな和解のためには、成熟したリーダーのサポートも必要とされます。

 このように、ピリピ教会は外では迫害があり、内では意見の違いがあり、喜びを失いやすくありました。しかし、使徒パウロは「主にあって喜びなさい」と言います。彼らの心に平安と喜びが満たされるには、一番目に、すべての人に寛容な心を知られることです。利己的で自己中心的では、喜ぶことはできません。二番目に、あらゆる場合に、感謝をもって神様に知っていただくことです。思い煩いを主に任せて祈る時、神様の平安が臨まれ、神様からの助けで問題が解決し、喜びに至ります。三番目に、聞いて学んだことを行うことです。聞いて学んだ御言葉を信じて実践することが、神様からの平安を感じ、喜びとなります。



祈り:主よ!私たちが主にあっていつも思いを一つにして喜び、感謝しあいながら,御言葉を学び実践するように助けてください。

一言:主にあって



2022年 11月 11日 (金)

ピリピ人への手紙4:10-23(11)
満足することを学びました

 ピリピ教会からの贈り物を受け取り、パウロは大変喜びました。贈り物自体よりも、聖徒たちが苦難を分け合ってくれたことを喜んだのです(14)。この時のパウロは、困難な状況でした。監獄の環境は良くなく、経済的にも貧しかったからです。それでもこれは彼には問題とはなりませんでした。パウロは、どんな境遇にあっても満足することを学んだからです。貧しくても、富んでいても、満ち足りていても、飢えても、乏しくても、ありとあらゆる境遇にあっても、パウロは喜んで福音の御業に仕えました。その秘訣は、強くしてくださる神様に頼っていた為でした。私たちがどのような境遇にあっても、満足できるのは、強くしてくださる主にあって、どんなことでもできるからです。

 パウロは自分に献金を宛てた聖徒たちを励ましています。彼らの愛を心から感謝していました。ピリピの聖徒たちが過去にも何度か献金を送った事実にもパウロは言及しています。これを見ると、パウロは物質的なことだけに関心があるかのように見えるかもしれません。しかし、パウロは贈り物を求めているのではありません。献金を送った彼らには霊的な口座に加えられていく実があることを伝えようとしたのです。また、これは芳ばしい香りであって、神様が喜んで受け入れてくださるささげ物です。これを受け取られた神様が、彼らの必要をすべて満たしてくださることを証しています。私たちが捧げる献金も、単に物質を捧げると言う意味だけではありません。そこには愛が込められたものであり、献金をする私たちに実をもたらし、神様が喜んで受け取ってくださるささげ物です。私たちも献金の際、このような意味を考え、感謝し、喜びをもってささげてゆきましょう。



祈り:主よ!どのような境遇にあっても私たちを強くしてくださる主により頼み、いつも感謝し,喜ぶように助けてください。

一言:私は、私を強くしてくださる方によって満ち足りる


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