聖書別日ごとの糧   >>   テモテⅠ[2009]

2009年 07月 14日 (火)

テモテへの手紙第一3:1-13
教会の職分を受ける者の姿勢

Ⅰ.監督の職(1-7)
 監督は教会の羊の群れを顧みる牧者として、今日でいうなら牧師や長老たちに該当します。監督は羊たちを神様の御言葉で養育して、狂暴な狼から保護する職分を任されていました。
 このような監督の職はすばらしい仕事を求め、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、良い影響を及ぼす人でなければなりません(2-4)。このような条件を持っているからといって、信者になったばかりの人であってはなりません。なぜなら傲慢になって、サタンのしもべになってしまいがちだからです(6)。
Ⅱ.執事の職(8-13)
 執事は教会の金銭を管理する職分です。初代教会の時は、特に救済事業を担いました。このような実務的なことを任される執事は、まずきよい良心をもって信仰の奥義を保っている人でなければなりません(9)。またすべてに忠実な人であり、家庭をよく治める人でなければなりません。
 職分を任せることは大切なことなので、慎重にしなければなりません。職分を任せる前に、一定の期間審査して見て、非難される点がなければ、その職につかせるのが良いのです。

祈り:主よ!日本の教会が金銭や社会的な地位より、きよい良心と信仰の奥義を保っている人々に職分を任せることができるように、助けてください。

一言:教会の職分は霊的な人々に



2009年 07月 15日 (水)

テモテへの手紙第一3:14-4:5
真理の柱であり土台である教会

Ⅰ.神様の家
 教会は世の集まりとは違い、神様の家です。これはイエス様をキリストと告白した神様の子どもたちの集まりということです。教会は生きておられる神様の召されと主権的な摂理によって建てられたものです。それでその中心は人ではなく、神様です。
Ⅱ.真理の柱、土台
 真理はイエス・キリストを指し、柱と土台は教会が福音真理を宣べ伝えられ、支えられた機関という意味です。教会は真理が建てられた基盤であり、柱です。それで教会の中では真理だけが受容され、宣べ伝えられなければなりません。特にその真理はイエス様のからだと十字架の死と復活と、昇天、そして宣教至上命令に具体化されました(16)。
Ⅲ.聖なる所
 エペソ教会には結婚や食物を禁じて、自分だけが聖いと争いを引き起こす人々がいました。しかし事実彼らは信仰から離れ惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われる者であり、良心が麻痺して偽善になり、偽りを言う者です。事実食物は論争の対象になることができません。なぜなら神様がお造りになったすべてのものは良い物であり、御言葉と祈りとによって聖められるからです(4,5)。

祈り:主よ!日本の教会がイエス・キリストを中心にして、福音真理を宣べ伝える集まりになるように助けてください。

一言:真理の柱であり土台である教会


<<(1)    前のページ(2)    3    次のページ(4)    (6)>>

聖書別日ごとの糧